俺達のコラム |
わたくし事の古い話です。
生まれて初めてアメリカはグランドキャニオンに行ったのは今から30数余年前の学生時代。
どういう間違いか(多分私自身の間違いでしょう)分かりませんが、アメリカであちこち旅行していた際、あれはミネアポリスの空港のカウンターだったと思います。
「お客様(私のこと)この切符ではグランドキャニオンのアリゾナ州フラグスタフへはいけませんが」「えっ、そんな。」そんなはずはない。ちゃんと行けるように周遊券を買ってきたはず、と思うも人生は簡単に行かないこともあります。
「僕、遠く日本から来て是非グランドキャニオンを見に行きたいんです。なんとかこの切符で行けるようにお願い!」
言ってみるもんですね。
気の良いそのスタッフは笑って、「うん、方法はある、特別にね」と言って座席のボーディングパスをくれました!
あんがと。
フラグスタッフからグランドキャニオンまでは長いバスの旅。
なんか暗いバスストップで深夜発のバスだったように思います。
一人バスに乗り込み多くの観光客でバスは一杯。
いよいよ長旅の終点グランドキャニオン到着。
夕方でしたので、まずは宿の手配。
ホテルなんか泊まる金もなく、一番安そうでもちょっとはましな宿を捜し、でも一泊分の宿泊代金がありません。
なけりゃ、誰かと部屋をシェアすれば安く泊まれる訳で、宿の入り口でまともそうな宿泊客を捜し「スイマセン。お金がないんで部屋をシェアして貰えませんか?」と声をかけたのはグランドキャニオンのレインジャーでした。
何事もなく無事に一泊。
翌日はいよいよ壮大、世界の不思議、目を見張るグランドキャニオンを散歩です。
でも金がないので食料品店でパン一斤を買って食べながら雄大な自然を満喫しました。
この思い出は色々な意味で私の人生です。
幸運にも空港で気の良いスタッフに助けられて無事飛行機に乗れ、知らない人との一泊も殺されたり薬漬けにされて売り飛ばされることもなく、なんと
レインジャーだったし、パンも一斤買えば相当持つし。
もう一つは、ちょっと強い気持ちと心をもっていれたこと。
飛行機の切符が正式にはどうであっても、何とか笑顔と冗談で力を借りれた事。これは人生、社会人となって非常に重要なことですよね。
オーストラリアで大学院入学に際し、学生ビザを取らなくてはなりません。歳も歳でそれなり以上に既往症が多く、オーストラリア側としては「そんな病気持ちの学生は治療代がかかって困る」と当然思い、出来ればビザは出したくない訳です。既往症が多くてすったもんだした末に、たまたまゴルフ仲間のお医者さんに便宜を図って貰えました(勿論、診断の結果や数値は変えようがありませんが、最寄りの医療機関で最短で結果を出してもらえました)
ホテル代が無いので、入り口で部屋をシェアできそうな人を見つけようとして見知らぬ人に声を掛けたことも、今「やってご覧」って言われたら出来るかどうか。
なきゃないなりに工夫したり考えたり、出来る範囲で行動する力を備えていた事も今となっては「若かりし時の方がよっぽど実行力があったな〜」と思う次第。今はどちらかというとその道のプロに「助けて〜」と言っちゃう方が多いかな。
パン一斤は今は手術で糖尿病になってしまったので、炭水化物のパンは血糖値があがっちゃってだめですが、「パンと水」って昔のカーボーイみたいで
カッコイイ。
今もあの時の一張羅の冬のジャンパーを着た自分が満面に笑みをたたえて、発売開始したばかりのソニーのウオークマンを聞きいている写真を見るのが楽しいです。
問題を乗り越え、自分の持てる範囲のもので楽しみを得る喜びはあの時も今も同じ素晴らしさのような気がします。結局、どれだけ”多くの物”を持っているかは関係ないんですね。むしろ、突破しようとする心の強さと、やっぱり楽しむ心を持つことじゃないでしょうか。
2009/12/28 著者: Sunny's English Square 佐藤明雄 >>> Sunny's English Square Web Site |