俺達のコラム
オーストラリアのGeneric薬


先日新聞に「どうすればジェネリックにしてもらえるの?沢井製薬」
「まずは、かかりつけの医師・薬剤師にご相談を。処方箋の変更不可欄に医師のサインがなければ、患者さんはジェネリックを希望することができます。」という新聞広告がありました。

丁度先日、ベイタウンのある病院に行って「薬はジェネリックにしてください」と医師に言ったところ ”ジェネリックは効用が減少する可能性がある。””特に軟膏の場合は効用減のリスクが高くなる。”という説明を受けました。

日本では医師がジェネリックの処方を了承するかどうか「医師が患者の希望があれば」という前提の下に医師が決定する様です。
上の沢井製薬の広告の説明内容にもその旨、書いてあります。「処方箋の変更不可欄に医師のサインがなければ、患者さんはジェネリックを希望することができます」という部分がそうです。簡単に言えば医師が「うん」と言わなきゃダメっていうことです。

私は製薬会社ではないのでジェネリックとそうでない薬の効能の違いは厳密には知りません。ただ、基本的に成分は同じはずです。
オーストラリアでは、患者が医師に依頼するという上下関係ではなく、処方箋を持って行った薬局が必ず聞いてきます。「ジェネリックにしますか」と。
どうも両国の意識には相当な違いがあるようです。

先般の医者の「いかにジェネリックは問題がある”可能性があるか”」という説明を乗り越えて、患者側がもう一度「ジェネリックにして」というのはお年寄りや気の弱い患者にはそういうだけでも少し負担がかかると私は思いました。特にジェネリックにして=お金が無い、と言ったいわれのない劣等感を与えるこの会話やシステムが問題だと思います。

どうもそこには医者と製薬会社の利権、薬局、政治と製薬会社の利権が複雑に絡み合ったいるとしか思えません。

もし ”ジェネリックは効用が減少する可能性がある。””特に軟膏の場合は効用減のリスクが高くなる。”のが事実であれば、数字でそのリスクを説明してもらえるとありがたいですね。例えば、その効用減のリスクが2%なのか、25%なのか。この場合両方に効用減のリスクがある、と一般論として言えますが、その程度には大きな差があり、今のところ医師のあいまいな説明では残念ながら私は説得されることが出来ないのが悩みです。

もう一つ私は「どうしてかな〜」と思う事があります。
どうしてどこの開業医の直ぐ向かいか横に薬局があるんでしょうか?
開業医の傍には薬局がある、というのは広辞苑のことわざに掲載しても良いかも知れませんね?
大きな大学病院とか市立病院の傍には数件林立しえいることもまれではありませんし。病院の存在と薬局の近隣での存在の相関関係は非常に高いと思います。コンビニの存在と人口1万人の町の存在との相関関係より高いのではないでしょうか...

開業医がその仕事をし患者さんの病を治すのは大変ありがたいことですが、その医者の処方箋に書いてある一字一句をそのままに、薬を出す薬局はな ぜ営々と収益が上がり経営が成り立つのか私は不思議でなりません。
医者の処方箋に書いてあるその薬の種類、過小過多のない薬の量を言われたとおり守り患者に提出する作業をするのに、薬局には数人の薬剤師さんと店員さんがいらっしゃいます。

昔々には例えば開業医の玄関に処方薬の調合場があって、調合してくれて白い紙に頓服薬を分けていれてくれたものでしたね。それが分かれ薬局になったとしても余りにも薬局が乱立している。
その業務の主体は処方箋に書いてあることをそのまま履行するだけなのでしょうかね〜。薬の効用を説明してくれる。複数の薬のクロスチェックをして飲み合わせが問題ないか確認してくれる。これはパソコンのインターネットを閲覧すれば私でも簡単に判りますが。薬局の業務がどれほど「創造性に富み、生産性が高いか、コスト削減をしているか、専門性に富んでいるか」どれも??ではないでしょうか。

これでは私のようにこの業界に何の知識もないと「乱立しても経営が成り立つと言う事は、考えられるのは、沢山患者さんが来て薬を買うか、あるいは薬の売買に絡んで十分な利益が生じる仕組みがある」と考えます。すべてこれは患者や国民健康保険などの保険制度に絡み我々の負担増につながります。医院でも薬局でも製薬会社の営業の人たちや製薬会社の宣伝商品をみるにつけ、ここにも製薬会社と政治と薬局の利権があるかも知れないとの勘繰りが生まれます。

本当の所はどうなんでしょうか?

2009/7/17
著者: Sunny's English Square 佐藤明雄

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