「俺たち2」管理人による戯言
日記でもない、コラムでもない、単なる戯言。そんな感じ。
筆者は幕張ベイタウン在住のおやじ。結構、歳いってます。はい。
しばざ記
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木更津をひとりで歩く
昨年の秋(11月)から何度も木更津へ行っている。
毎度のこととはいえ、ひとり寂しく木更津の街を歩いている。


今日は母の介護保険の調査ということで、市の職員さんが病院に来てくれて、私も立会いをした。比較的自由に時間を使える私の商売でも、木更津まで行ってしかも時刻の指定となると、予め心づもりをしていても当日になると結構きついものだ。

バタバタとしながら病院に行き、その後、医療費返還金のことで市役所に往復した。病院から市役所までは片道でだらだら歩くと30分くらいかかってしまう。でもだらだらしか歩けない。気分的に相当落ち込んでしまっている。

介護保険のこともそうだし、手術のこともあるし、そしてなによりも療養をどうするかでアタマがいっぱいになる。母はひとり暮らしを望んでいる。でもヘルパーさんは絶対に必要だし、そうなると、私も頻繁に面倒を見る為に幕張と木更津を往復しなくてはならない。あるいは施設に入ってもらうという考え方もある。でも母は絶対に嫌がっている。一旦入ったらもう出られなくなると言っている。それにお金がかかる。払えるか心配だ。いずれにしても解決しなきゃならないことがたくさんある。私の収入もかなり落ち込んでいるのも相まって、泣きたいくらいだ。

そんな悲壮感を浮かべながら木更津に街を歩くのだが、ひとつだけ都合がいいことがある。それは毎度毎度のことのように街にはあまり歩いている人がいないことだ。つまり、暗い表情を誰にも見られないことで、むしろ泣きながらだって歩ける。そういう意味では木更津の街はなんと優しい気遣いをしてくれているんだろう。

とはいえ、寂しいことには間違いない。毎回やって来てはひとり歩き。慣れてはこないものだ。幕張の街を歩いても都心をぶらぶら歩いても、こんな寂しい気持ちにはならないものだ。もちろんそれは木更津が、幼少から青春期を過ごした街というこれ以上無い郷愁を感じる街であるからだ。でも、今は何かとてもよそよそしい街でもある。実家に母はいないし、親戚はとっくの昔に他の街に引っ越しているので、血の繋がった人間が住んでいないというのがその理由かもしれない。私自身が高齢になりつつあるので、居酒屋に行っても食堂に行っても同年代の人達に会えないというのもある。

孤独な老人というのはこうやってなってゆくんだな。
ほんと、そう思った。

上の写真はみまち通り。
たまたま誰もいないところを撮ったのではなく、本当に誰も歩いていない。
午後3時過ぎだ。
寂しい。
寂しいけれど、前述のように、泣きながらでも歩けるというのがこの街の優しさかもl。

市役所に行って、保険年金課で色々お世話になる。その後、先週だったか丁寧に教えて頂いた高齢者福祉課(?)の窓口に寄った。その時に、親切に応対してくれた若い女性の担当者にお礼を言いたかったのだ。その旨を男性の担当者に告げると、その女性は人事異動で他部署にいるという。それもちょっと悲しかったな。しょうがない。

帰りに狸囃子で有名な証城寺に寄ってみる。
同寺へは5、6年ぶりかな。
たまに寄ってみたくなる。
味わいのある寺だ。

そうそう、今日は、今同じ幕張ベイタウンに住んでいる同級生のれんさんと、バンド仲間のたっきーさんが、まあ、私を慰めに木更津に来てくれる。そういう主旨じゃないかもしれないが、私はそう捉えている。

おっと、そういうことで、ちょっと早歩きで病院へ戻った。今更慌ててもしょうがないんだけどね。

病院の談話室で母と二人、今後のことを色々語った。
取り敢えずは目先の問題で、手術をどうするかということだ。
母はまだ決心がつかずにいる。
でもこのまま痛いのをずっと我慢しているのも可愛そうだし、私もどうしていいかわからない。

母の腕の注射の跡が非常に生々しく痛々しい。



証城寺。
あまりにも有名だけど、実際にはこじんまりとした寺。
かつては狸を飼育していたこともある。



証城寺のところの橋の袂から海の方面の景色を望む。
橋の向こうには埋立地が出来て、そして緑が生い茂っているが、かつてはここから海がダイレクトに見えたのだ。

2013.2.7

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友人の墓へ参る


同級生の墓に立ち寄った。
墓は駅の西口から近い光明寺という寺の境内にある。
あの与三郎の墓のある寺だ。

このところ木更津にしょっちゅう行ってるのに、墓前に佇むのは一年ぶり。

ご無沙汰していて申し訳ない。
しかも手ぶらで。

しばし黙祷。

君の生きた年月の二倍をはるかに越えて、こうして君の墓前にいる。

やっぱダメだ。
泣けてくる。




改めて墓石に刻まれた享年を見ると、23歳だ。
あまりにも若い。

不思議なことに、昭和56年に亡くなった彼の戒名が刻まれている場所は昭和17年没と昭和十三年没の故人の間なのだ。どうしてこういう順序になったのだろう。

おそらく、彼が亡くなったときには墓石にもう書ける場所が無かったのだろう。
今は墓石とは別に墓碑があって、昨年の夏に他界された彼のお父上の戒名はそちらに書かれていた。


もう一度、上の写真を見ると、友人の名前の左側に刻まれている故人の没年は昭和17年。この方もやはり22歳の若さで亡くなっている。昭和17年というと、1942年。太平洋戦争が始まったのが1941年で、その翌年ということになる。戦死されたんだろうな。存命ならば91歳くらいか。つまり彼のお父さんのお兄様ということになるかな。

考えてみると、我々が生まれて来た年からたった15、6年前に戦争をやってたわけだ。

杉田二郎が「戦争を知らないこどもたち」と歌ってたけれど、知らなくてもそこかしこに戦争の爪痕が多かった。この墓石にだってとてつもない悲しみが刻まれているわけだ。

なんかとても感慨深いものがある。

自分のこども達を絶対に戦場に送り出さない国でいたいものだ。


ブログ版 = http://baytown-ore.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-de0b.html

2013.2.7

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セッション at 木更津やきそば 


病院から出て、いつもの木更津やきそばへ。
最近、病院の用が終わると、最後には必ずここに寄る。
今宵は、タッキーと、れんさんが来てくれた。

上の写真の右から二番目がれんさん。
私の同級生だ。

そうそう、れんさんが異常にちっこく見えるけれど、れんさん以外はみな182cm以上の大男なので仕方ない。(笑)

一番右側の若者はこの店の常連で木更津出身、そして木更津在住の松葉君。プロのビーチバレーの選手である。彼に会うのは三度目。スーツ姿の彼は初めてみたな。かっこいいよ。




久々に彼のナマ歌を間近で聴く。
懐かしいねえ。

それにしても、彼、凄く張り切っていて、マイギター、マイアンプ、マイマイクを持ち込みなのだ。



れんさんが撮ってくれた写真。
昼間、思い切っり落ち込んでいたけれど、なんかすげえ楽しくなってきた。

みんな有難う。

そして、木更津やきそばのマスター有難う。



今日の逸品はこれ。
焼きそば棒。
うま〜〜〜い!!!

ワンハンドで食べ歩きが可能な焼きそばってことでマスターが考えた商品だ。
高校生に嬉しい100円という価格がナイス!



同店で、いつもマスターや松葉君が歌ってくれる木更津のシンガーソングライターの高澤俊作さんの曲(上はダイジェスト版)はここ(YOUTUBE)で聴ける。
素晴らしい曲が多い。

2013.2.7


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やるせない事件

あの例の鬼女に何人も殺された事件がまだ生々しい。でも、次々に凶悪な犯罪が起きていてどんどん記憶の彼方に行ってしまう。これだけ文明が発展し、道徳観だって、一定以上のレベルの人達だけになっていると思っても、それでも殺人事件は起きてしまうのだ。

昨日のニュースでは昨年起きた広島の強姦殺人及び遺体遺棄の裁判のことをやっていた。被害者の女性と犯人の男は同僚だった。殴って金品を奪って手錠をはめて強姦し、命乞いをしているのにも関わらず胸をナイフで刺し殺害、そして遺体を切り刻んで川に捨てるという極悪非道な事件である。求刑は死刑。遺族からしたら当然のことだと思う。

この事件でちょっとよくわからないのは、命乞いをしたのにも関わらずナイフで刺したなどの供述は犯人しか知りえないことでで、裁判で状況が不利に働くわけだから、それは絶対に言わないほうがいいだろうと普通は考える。犯人の償いの気持ちが少しあって、それで正直に語ったのだろか。不思議さ。それと、当初は被害者、及び、被害者の遺族に反省の言葉がまったく無かったという。そこまで自暴自棄になっていのか。

それにしても、強姦しながらも、終わったら殺すということをアタマに描いていたというのはなんとも恐ろしいことで、それ以上に性欲が強かったのか。あるいはそれがあったからこそ必要以上に興奮したのか。普通だったら絶対に萎えてしまうのに。

男の性欲、あるいは征服欲のようなものは種族の繁栄の為に神様がくれたもの。でも、それがあるが為に昔から悲劇が起きている。この先どんなことがあるのかということをきちっと想定しないで欲情に走ってしまう機能が哀しい。ヘンタイだけで済まされているんだったらマシだ。自制が出来ずに暴走して、挙句の果てに人を殺めてしまうというのはどうしたもんだろう。

あの光市母子殺人事件も然り。
リンゼイさんを殺害した市橋容疑者も然り。
女子高生ドラム缶殺人事件も然り。

男の性欲の犠牲者になった女性達があまりにも哀れだ。

それと、今回のその広島の事件にしてもそうだけど、犯人の親が可哀想で仕方ない。もちろん遺族の悲しみも想像を絶する。私如きが一緒になって悲しんでもどうにもならないが、とにかく哀しい。

2031.2.9


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この季節の富士


上は一昨年(2011年)の2月初旬に幕張の浜から撮影したものだ。
あの震災の1ヶ月ちょっと前ということになる。
別の写真を探していて、これを発見(笑)した。

この写真、この「しばざ記」にも掲載していないし、どこにも使ってないところをみると、たぶん自分でも気に入ってない写真なんだろうと思う。

確かにコントラストがイマイチだ。

でも、こうして見ると、最近朝の時間帯に浜に行ってないので、とても新鮮に見える。

そういえば、あと10日くらいで、この辺りからダイヤモンド富士が見える筈である。
皆様、ご準備は如何でっしゃろ。


http://shibazaki.iza-yoi.net/zaki20/shibazaki_987.htm

2013.2.9


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夏の終わりのハーモニー (YOUTUBE)


違う曲を探していて、これに遭遇した。
素晴らしい。
じーんと来るな。

陽水は、もう天才と言って当然だし、玉置浩二もなんだかんだとゴシップが多くて勘違いされているフシもあるが、やっぱ天才だよな。

素晴らしい。

2013.2.9


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きしのりこ in ベイタウン朝市(2/16 SAT)


2013年2月16日(土) ベイタウン朝市に"きしのりこ"さんが登場。スマッシュヒットの「まくはりのうた」を歌ってくれます。CD販売会、サイン会もやります。入場無料。是非ご来場ください。会場はベイタウン・コア横のひろばです。

ライブのスケジュール
1: 11:00〜   2: 12:00〜

--きしのりこ--
千葉県市川市出身。幼少の頃より、長唄・長唄三味線を学ぶ。中学高校では、ミュージカル部に所属。声楽、ボイストレーニング、ダンスを学ぶ。2004年より作詞作曲を始め、LIVE活動を開始。2008年よりピアノ弾き語りでのLIVE活動を開始。現在までに、6枚のCDをリリース。毎年ワンマンLIVEを開催し、LIVE本数は年間100本を超える。「ありがとうと笑顔を届けたい」という想いで歌を歌い、日本全国に活動の場を広げ、精力的に活動している。2012年、幕張情報サイト「まくじょー(maku-jyo.com)」にて、幕張の方々と共作にて作詞・作曲をした「まくはりのうた」を製作、CD発売。千葉を盛り上げるべく、千葉での活動も本格化。FMうらやすパーソナリティー(Bay City Caller、きしのりこのほげほげradio)をつとめる。


プロモYUTUBE = http://youtu.be/zYHDX0NkEgk


2012.1.5

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2013/2/7〜9
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