「俺たち2」管理人による戯言
日記でもない、コラムでもない、単なる戯言。そんな感じ。
筆者は幕張ベイタウン在住のおやじ。結構、歳いってます。はい。
しばざ記
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「NSP」
ニュー・サディスティック・ピンクというバンドで最初はロックやってたらしい

またまたフリータイムス千葉の話題から。1979年、つまり今から約30年前の7月8日、千葉県文化会館でNSPのコンサートが開催された。私と同世代の方々はNSPというと、ピンとくるのだが、いったいNSPってどれくらい知られているのだろう。1970年代の後半、大石吾郎の「コッキーポップ」という番組ではNSPがしょっちゅう流れていた。

私が高校3年のとき、屋上に続く階段の踊り場が、ちょっとしたステージだった。そこにギターを持って色々な奴が集まってくる。吉田拓郎を唄う奴、ビートルズが大好きな奴、そしてK君というちょっとかっこいい奴(今でいうイケメン)がNSPを凄く好きで、スリーフィンガーでギターを弾きながらNSPの曲「汗」や、「さよなら」を唄っていた。

正直言って、最初はNSPを私は好きじゃなかった。でも、そのKの歌を聴いてから好きになった。彼の声質が好きだったからかもしれない。いや、好きになったというよりは、私の中でその時代を代表する楽曲になった。それと、自分とはまったくタイプの異なるKにほのかな憧れを持っていたのかもしれない。おっと、私はモーホではない。

NSPの音楽は、あの頃流行出した荒井由美や、中島みゆき、ゴダイゴなどと一緒のジャンル、ニューミュークと呼ばれた。このジャンル分けはともかく、ニューミュージックという呼称には未だに気持ち悪さを感じてしまう。それは私と同世代の人間も同じことを言っている。いったい誰がニューミュージックと言ったのだろうか。

ところで、上の写真は1979年のフリータイムス千葉の表紙と、表紙の裏のコンサートの案内であるが、ここには永井龍雲、岸田智史、とんぼ、NSP、そして、その隣のページにはゴダイゴ、最後のページには世良公則&ツイスト、山田パンダ&フルハウス、四人囃子などがラインナップされている。それは、フリータイムス千葉が前号でご紹介した1977年よりも更に音楽色を強めたということである。また、表紙にサーフィンの絵を持ってきていることから、そう、あの時代はサーファー文化が開花したのを千葉のタウン誌も見逃さなかったのである。(笑)



2008/2/25
しばざ記 416

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