単なる中年おやじによる戯言
しばざ記(最新インデックス) しばざ記(INDEX-07)   俺たちのHP(パート2)


風戸裕とピットイン
山梨県の竜王町にあったレストラン

ふっと昔のことを思い出すことは誰にでもある。私の場合はそれが頻繁だ。ひょっとすると現実逃避しているのかもしれない。難局にぶつかると、それを打開することよりも、つい面倒になり、目を背けてしまう自分がいる。そういう時には大抵、昔を思い出し、その感傷に耽り自分を慰めている。

それではイカンのだけれど、仕方無い。若かりし頃は、遠い未来を空想して喜んでいた。まあ、喜んでいたのか、それとも絶望していたのか、よく分かってなかった。でもさすがにこの年齢になると、20年や30年先の未来を想像しても楽しくはない。どうしても、過去を振り返ってしまう。「ああ、あの頃はよかったなあ。」とつい思ってしまう。完璧に脳年齢は初老モードになってしまっているのだ。

ここまでのイントロ部分は自分で何言ってんだか分からなかったので、書き直した。

1970年代に活躍したレーサーで風戸裕がいる。その頃は生沢徹と人気を2分していた。将来を期待されたが、24歳の若さでこの世を去った。事故に巻き込まれ、マシンが炎上。焼死だった。漫画「サーキットの狼」(池沢さとし著)の主人公、風吹裕矢のモデルであったことはレースファンにとどまらず、多くの人々に知られている。(Wikipedia)

20代の頃、主にバイクで八ヶ岳に行った。八ヶ岳方面に行く目的は2つ。ひとつは、お洒落チックで、牧歌的な旅をする為。それから、もうひとつは、林道をバカスカ攻めるオフロードなツーリングの為のまったく異なるものだった。その2つの目的は、同時に叶えることは出来なかった。服装、装備や心構え、相棒、クルマかバイクかなど、出発時はまったく異なるシチュエーションである。もちろんルートも違っていた。しかし、共通点は、必ず帰りは20号線の竜王町を通ってくることであった。

あれはいつの頃だったか、既に暗くなってきた国道20号線上りの竜王町辺りで、腹が減ってきたので、相棒(その頃よくツーリングで一緒だった仲間)と、道路沿いの「ピットイン」という店に入った。その店に入ったのは、看板が目立ったこと、大きな駐車場があったことと、それから、「ピットイン」という店の名前が良かったことが理由だ。

「ピットイン」は、新宿のジャズのお店で馴染みがあったし、漫画のナナハンライダーの早川光君がよく行くお店の名前と同じだった。更に、その頃もそうだけど、小学校時代から自動車やバイクのレース(観戦)が好きだったので、「ピットイン」という名前にすぐ反応したのだ。

店に入って驚いた。なんと前述の風戸裕の記念館を兼ねていたのだ。店はかなり広く、しかし、店の半分は風戸裕のレーシングカーや、彼の使っていたヘルメットやらつなぎなどが展示されているのだ。風戸裕は好きなレーサーだったので、本来は嬉しいのだが、衝撃的な死を知っているだけに、なにか重苦しい雰囲気しか印象に残らなかった。

しかし、次に八ヶ岳を訪れたときも、更に、その次に訪れたときにも「ピットイン」に寄っている。その次の次に行ったときにも寄った。そして毎回重苦しい空気を感じていた。いっそ、寄らなければと思うこともあったのだが、寄らずにはいられなかった。

結局、計12、3回くらいは行っているかもしれない。でもそれから、八ヶ岳はあまり行かなくなった。仕事が忙しくなってきたからだと思う。それと、趣味が徐々に変わってきている。オフロード用のバイクもあまり乗らなくなった。もう23、4年は「ピットイン」には行っていない。

その後、その店はどうなったか。人伝に聞いたところによると、移転したようだ。しかも、もう風戸裕のレーシングカーは展示していないらしい。寂しいことだ。

2007/10/4
しばざ記 312

▲このページの先頭へ





http://www.shigeno.co.jp/
しげのオンラインショップ

▲このページの先頭へ


<<< 前の記事
次の記事 >>>