「俺たち2」管理人による遠距離通勤電車マガジン

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柿の木のある小さな借家

私の勤務地は東京近郊の比較的大きな街であるが、ちょっと郊外へ行くと田舎同然の景色が広がっている。空き地というより、草むらだったり、松林があったり、良い言い方をすれば風光明媚、悪く言えば非常に殺風景でもある。特に冬は吹きっさらしで、寒さが身にしみる。都心では絶対味わえない雰囲気を気軽にモノに出来る。駅に近い所にもまるで忘れられたように田舎のスポットがある。ビルの陰にいきなりネギ畑があったり、かつての桑畑の名残のような空き地があったり、昭和30年頃に建ったと思われる小さな借家がぽつんとあったりする。

職場のすぐ近所にもそんなスポットがある。今では珍しい板塀に囲まれ、借家が3軒肩を寄せ会うように並んでいる。完全な木造の小さな平屋。板壁や雨戸は真っ黒に変色している。周囲が新築する際に土を盛ってゆくものだから、そこだけ窪地になっている。注意していないと全く見過ごしてしまうその一角を見る度に私は哀愁を強く感じるのだ。

3軒の借家のうち人が住んでいるのは真ん中の1軒だけだということが最近明らかになってきた。なぜなら比較的新しいポストがその家にだけあり、他の2軒には人が住んでいる雰囲気をまったく感じない。平日の日中に何度かその家を見たのだが、雨戸が開いているのを見たことが無い。真ん中の家も雨戸は閉まっているのだが、それでも庭に何度か人影を見た。庭と言っても板塀と住居の僅かなスペースだ。3軒の庭はどこからどこまでが境界線か分からない。ただ、それぞれの家には1本ずつ柿の木がある。一度近寄って庭を眺めたことがある。植木や鉢の類は無いので、シンプルだが、短く刈り込んだ草が芝生風になっていて、3軒とも小綺麗にしている。大家さんが手入れしているのだろうか。それとも、真ん中の家の住人が手入れしているのだろうか。

冬の夕暮れ。その辺りは結構冷え込む。真ん中の家から僅かに明かりが漏れていた。雨戸を閉めてしまうと、窓という窓が無くなる作りになっているのだが、あの明かりの漏れ方だと、かなりの隙風が入ってくるのではないかと心配になってしまう。果たして、ちゃんと暖房しているのだろうか、と余計な詮索をしてしまう。そして、その家の住人はどんな人間なのだろうか、などとこれまた気になってくる。近所には塾へ向かうこどもたちの元気な声がこだましている。そして、焼き芋を売る拡声器の音や、ちょっと離れた大通りの喧騒も北風に乗って流れてくる。その家だけ、世間から完全に遮断された世界のような気がした。

1月の後半はやたらに寒い日が続いた。しかし、風さえ無ければ、日中ぽかぽかの日もある。私は所用で例の家の前を通った。すると真ん中の家の住人が鋸で、せっせと柿の木の枝を伐採していた。柿の木はその借家のように幹が真っ黒で、かなり年期が経っているような感じなのだが、それほど大きくない。おそらく、こまめに枝を伐採しているから背が伸びないのだろう。私は立ち止まり、その住民が気にならないほどの距離を保って様子を見ていた。板塀があるので、時々手が見えたり足が見えたりする程度だが、黙々と柿の木と格闘しているのが分かった。

所用から戻ってきた時に、板塀から細かい枝を縄で縛り束にしたものを、ぶら下げてその住人が私の歩く道に出てきた。ちょうど鉢合わせになるようなタイミングだった。小さな老人だった。腰も曲がっていた。年齢は八十は過ぎていそうだ。薄手の作業着ともジャンパーともいえないような物を羽織っていたが、痛く寒そうに見えた。私は、擦れ違い様に悲しくなってしまった。なぜに悲しくなったのかその瞬間には気づかなかった。

私のこども時代にも似たような借家があった。あったというより、借家に住んでいる人のほうが多かったので、別に珍しいことではなかったが、その中でもまるで幽霊屋敷のように、今にも崩れ落ちそうな住居が近所にあった。実際、私は本当に化け物が住んでいると思っていた。悪友たちがそう教えたのか、それとも近所の人たちが言っていたのか、どうしてそう思ったのかの起源は分からない。でも、とにかく怖かった。家の周りの草はぼうぼうで、がらくたがあちらこちらに散らかっていた。壁に所々穴があいていたし、破れた障子もかいま見れて、幽霊が出てくるにはあまりにも好都合。

幸いなことに、その幽霊屋敷は私の家からは奥まったところにあり、余程のことが無い限り、そちら方面には行く必要性がない。ただ、その奥に昆虫がたくさんいそうな森があり、かぶと虫を探しに何度か幽霊屋敷の前を通らざるをえない。もちろん、日中であればそれほど恐怖心も沸いてこないので、なるべくそちらの方向を見ないように通り過ぎた。

ある日、その幽霊屋敷のことを親に聞いたことがある。親は困惑したような顔になり、あまり話したがらないそぶりをする。どんな口調だったか思い出せないが、あの家は幽霊屋敷ではないことをきっぱりと言っていた。しかも、ちゃんと人が住んでいるというのだ。驚いた。とても人が住んでいるとは思えない。それ以来、逆に変な恐怖心が沸いてきた。

こどもというのは、実に残酷だ。年寄りを汚いもののように言うし、生きている人間を平気で化け物扱いする。その後、悪友から例の家の住人も年寄りだと言うことを聞いた。鬼ババアだと言うのだ。物凄く悪いことをするお婆さんだという知識を植え付けられた。そのうち誰からともなく、肝試しに行こうとか、成敗しに行こうなどと言っていた。

ある放課後、近所の悪ガキ何人かで、その家の前に行ってみた。誰かが、「くせえ、くせえ。」と叫んだ。「おーい、ばばあっ!出てきやがれ!」とまた誰かが叫んだ。すると、殆ど傾きかけた玄関の引き戸がきいきい音を立てて開いた。私たちは、一目散に逃げた。その姿を誰も見ていないので、どんな人だったのか知る由も無いが、私は怪談に出てくる安達太郎山の山婆を想像していた。包丁を研いで、こどもを食っていまう、というあれだ。

何日か経って、また一人でその家の前を通った。山婆が出てきたらどうしようなどと思いつつも、逆にやっつけてやる、などと妙にイキがっていた。だが、本当に出てきた。一瞬どきっとしたが、その姿は、弱々しく、とても人を食ってしまうような感じじゃない。ちらりと見ただけで私は急いで通り過ぎた。だが、森の中に入ると、急に恐怖心が増幅される。もし追いかけてきたらとどうしようかと、後ろばかり気にしていた。

今、冷静に思い出すと、小さく、足もびっこを引いているし、相当な高齢だった。あの時は、ぼさぼさな真っ白い髪の毛が、想像している山婆とイメージが重なったので、怖かったのだと思う。どういう事情かは分からないけど、年寄りがあんな粗末な家に一人で住んでいること事態、本当は可哀相なことなのに、こどもとは言え、酷いことをしたものだと今更ながら後悔している。

だいぶ経って、あの家が住人ともども無くなり、そして、更地になり、別の家が建ち、かぶと虫の森もいつのまにか住宅地になって、記憶も薄れてしまった。例のお婆さんとはあれ以来接触が全く無くて、うっかりすると、まったく脳裏に残っていないはずであった。冒頭の柿の木ある小さな借家を見るまでは。

2004/1/27

しばざ記 Vol.60


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