「俺たち2」管理人による戯言
日記でもない、コラムでもない、単なる戯言。そんな感じ。
筆者は幕張ベイタウン在住のおやじ。結構、歳いってます。はい。
しばざ記
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大晦日に20年前を振り返る
大掃除をやっていたときに出てきた雑誌等から、20年前の1991年に思いを馳せる。外付けのHDDの中にもその1991年の資料がぞろぞろ出てきた。


上は1991年6月の美浜大橋の近辺から眺めた海浜幕張駅方向の景観。つまり二十年前だ。手前の工大な空き地がその後のベイタウンになる。この頃、幕張新都心はメッセが2年稼働している。まだ幕張プリンスホテルは建築中。ニューオータニは影も形も無い。

下は、2004年のほぼ同じアングルの写真。


少なくともこの二十年でこの幕張新都心は大きく変貌している。


上は、永代橋の橋のたもとから見た大川端リバーシティ。超高層マンションはまだ2棟しか建っていない。ということは幕張新都心とほぼ同じ頃に出来たということだ。



上は貴花田が横綱・千代の富士を破った一番。これを機に千代の富士が引退をする。


右は、ハワイから帰国した勝新太郎。この時、勝は容疑者。コカインをパンツの中に入れているのをハワイの税関で発見されたという容疑。写真のタイトルの「ワイは勝」というのは、この1991年に流行したKANの「愛は勝つ」をシャレたもの。

上の写真、右の写真とも当時の週間文春から。

この頃、毎週のようになんだかの出張があり、文春を買っていた。その中でたまたま残っていたものを後年スキャンしたものだ。今、現物はもう無い。

その他、大きなニュースとしては、「東京の電話番号が、これまでの9ケタから10ケタになる」、「美浜原発で自動停止の事故」、「自衛隊の海外派遣」、「牛肉とオレンジの輸入自由化が始まる」、「本田技研工業が『ビート』を発売(同日、スズキが『カプチーノ』を発売)」「ロッテ、本拠地の千葉移転発表」、「幸福の科学が講談社に抗議」、「宮澤内閣発足」、「ソビエト連邦崩壊、ゴルバチョフ大統領辞任」などがある。

そうか、二十年前にも原発事故があったんだね。しかしまさかその当時に今日のフクシマのあの現状を誰が予測できただろうか。それから、牛肉の輸入自由化のお陰で安い米国の肉がたくさん入ってきたけれど、そのお陰で、例のBSEの問題が発覚した。今のTPPの問題と重なるね。

おっと、忘れちゃいけない。雲仙普賢岳の噴火があった。
このときも自然の脅威に為す術も無かった。




あの頃はバブルにやや陰りが見えてきたときでもある。しかし、上の新日鉄君津製鉄所はフル稼働。その後、景気が冷えて、溶鉱炉が次々に止まったりしてゆく。

私の重大ニュースとしては、この頃、乗らなくなったバイクを処分した。
まだまだ十分走れるバイクだったけれど、1万円で引き取ってもらった。
今考えるともったいなかったかなあ。



当時はスキーブームだった。「私をスキーに連れていって」という映画の影響もあった。私も左のガイドブックを買って、一所懸命スキー場通いをした。実際には仕事が忙しすぎて、年に1〜2度しか行けず、行く度に初心者に戻っていた。(苦笑)

右はまだパソコンが一般的じゃない頃、キング・オブ・ホビーと言われたハム、つまりアマチュア無線。しかし、斜陽のアマチュア無線界で頑張るCQ誌。このCQ誌は約550ページもあり、電話帳みたいな厚さ。私は当時、アマチュア無線はやっていなかったものの、機械は所有していた。この頃までメカには強かった。

自慢じゃないけれど、モールス符号も打てた。モールス信号はよく出来たもので、トンツーという短点と長点の2種だけの組み合わせで言葉を発することが出来る。1か2のコンピューターの言語と似ているかも。今は簡単なものしか打てない。いや、もう殆ど忘れてしまったかも。因みに、SOSの信号は、「トトト、ツーツーツー、トトト」だ。これはピンクレディのSOSのイントロにも入っていたけれど、当時はそれがラジオから流れると、緊急救助信号だと勘違いされるので、放送ではその部分をカットしていたらしい。

ん〜。なかなかタメになるね、この「しばざ記」は。
これからも愛読すべし。



上は都内の某所で開催された有名建築家のパーティーでのひとコマ。
もちろん1991年だ。
右は私。そして、左は妻である。

当時は美男美女のカップルと騒がれた。まったくのウソ。
お互い、今は見る影も無いけど。(苦笑)

あら? 妻のスカートの短さが気になる。
今はスカートを履いている姿は一年で一、二度しか観ないな。

それ以前に、口も聞いてくれないからどうでもいいんだ。もう。(苦笑)

あ、そんなこんなで色々やってるうちに時間が経ってしまった。
さて、引き続き大掃除続行。

おや、またオモシロい写真(面白いってわけじゃないけど)が出てきたぞい。
右は、1991年の御茶ノ水駅。
今となっては、全身オレンジのこの車両が懐かしいっすね。

皆様、どうぞ良い年をお迎えください。
来年もよろしくお願いします。

2011.12.31

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今年最後のフォトダイジェスト

(↑)初めてチリのシャンパンを飲んだ。うん、イケる。リンコスで買った。安くていい。 (↑)蝶々形のパスタ。
たまにはこういうのも食べてるのだ。

(↑)クリスマスの夜、ちょい慌てて買ったプレナ1階のコージーコーナーのケーキ。 (↑)風の谷のビール。

(↑)蔵さんの店頭で販売している「しょうゆの実」。 (↑)その店内には見事な赤い実。

(↑)12月31日の家飲みの肴。おでん、でんでん。 (↑)年越しそばは妻がセレクト。深大寺そばのナマ麺である。かなり美味かった。

2011.12.31

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吉田拓郎&アルフィー



笑った。
これいいね!



二十代後半のある日、友人が「シモキタ(下北沢)を歩いていたら坂崎幸之助を見た。」と何気なく言った。その当時私はその人物もアルフィーさえまったく知らなくて、聞き流していた。その後、別の友人とシモキタで飲んでふらふらしていたらその友人が後ろを振り返りながら小声で「あれ、今の坂崎じゃねえか。」と言った。その時もアルフィーのことにはまったく興味を持っていなかった。更にその後、その坂崎と思われる人物とは何回かすれ違ったが、誰も騒ぐわけじゃないし、私もどうでもいいと思っていた。その数年後なのか、ちょっと時代は分からないけれど、例の「メリーアン」(だったけ?)でアルフィーはスターダムにのし上がる。実はその頃もテレビに出ていたのは知っていたけれど、それがアルフィーであり、そして真ん中が坂崎幸之助であるという認識は無かった。それから十年くらい経って、テレビで彼らが歌っているのを何気無く観ていたときに初めて、「おっ!あれは俺が観たあの坂崎だ!!」と確信した。

とまあ、私にとってのアルフィーは馴染みが薄いし、だいたいガロに似たような路線を狙っているような姑息なバンドとして捉えていた節がある。しかし、坂崎を意識するようになって、彼が色々なセッション等で、素晴らしいギターやボーカルを披露するに至って、物凄く好意的に観るようになった。特にビートルズのコピーがほぼ完ぺきに出来るのが凄い。吉田拓郎のギター真似、歌真似も巧かった。上の動画はそんなこんなを思い出させてくれる。いや〜、フォークっていいですな。

2011.12.31

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またひとつ追加



巻頭の写真の夜景バージョンが出てきた。
といっても、その巻頭のものが6月で、こちらは11月のものだから5ヶ月が経過している。
5ヶ月が経過したのに、相変わらずベイタウンには建物がひとつも無い。

しかし、この頃って、デジタルじゃないから、写真撮っても果たして写っているかどうか分からないわけで、それにしてはこれなんて、フィルムも勿体ないので、一発撮り。そう今みたいに、念の為に多少露出を変化させたものを2、3枚撮るなんてことは無かった。

まだまだ今となっては(私にとって)貴重な写真がぞろぞろ出てきたけれど、キリがないので、この辺で・・・。

そんなわけで今年もこれでおしまい。
備忘録としては、今年自転車で走った距離(6月頃から計測)は2,088km。この距離は多いのか少ないのか分からないけれど、単純に6ヶ月で割ると348km。おお、素晴らしい。後半はペースダウンしたので、また下っ腹がぼこんと出てきている。来年はもっと真面目に自転車に乗ろう。

2011.12.31


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2011/12/31
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