「俺たち2」管理人による戯言
日記でもない、コラムでもない、単なる戯言。そんな感じ。
筆者は幕張ベイタウン在住のおやじ。結構、歳いってます。はい。
しばざ記
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「金鈴塚」(きんれいづか)
金鈴塚は千葉県木更津市にある前方後円墳(古墳)である。
金の鈴をはじめとする装飾品などが多数見つかったことからその名がある。

事情により、このところ、少しでも暇を見つけては木更津の実家に行っている。土日に仕事が入っている場合が多いので、平日で割合暇な日に行くようにしている。その日は台風一過で爽やかだった。

実家での用事を一旦済ませた後、夕刻までなにもすることが無かったので、自転車に乗って木更津市内を散歩することにした。まずは適当に走ってみる。一番上の写真は内房線の近辺に点在するハスの田圃である。どれだけの生産高があるのか分からないけど、結構昔から木更津はハスの産地として有名なのだ。



次に表題の金鈴塚に行った。小学生のときに来て以来、たぶん存在すら忘れていた。たまたまこの辺りだろうと目星をつけて行ったけど、ちゃんと記憶が正しく少しも迷うことなく行けた。上の左の写真が棺のある穴の正面。いたずら防止の為に格子が取り付けられているが、牢屋のようで気味が悪い。穴の中には石棺がある。苔むしている。

この中から出てきた遺体やら埋葬品などは、ここから数キロ離れた太田山公園の金鈴塚博物館に展示保管されている。

金鈴塚について以下のサイトに詳しく書いてあった。
ちょっと真剣に読んでしまったよん。
http://www.kisarazu.ed.jp/kinrei/kinrei/2ibutsu.htm



金鈴塚のすぐ裏手は久留里線。朝、夕を除いて、1時間に上下1本しか走らないローカル線だ。せっかく来たからには写真でも撮ろうと粘っていたら、30分待ってやっと通った。それが左の写真。右は、後で木更津駅構内に停車中の車輌を撮ったもの。内房線の上総湊行きの列車が脇を通過する。



まだ時間がある。ふと、そうだ光明寺に行ってみようと思った。光明寺は、木更津駅西口からすぐの大きな寺で、歌舞伎で有名な与三郎の墓がある。最近ではあまり話題にならないけれど、かつて木更津と言えば、潮干狩り、狸ばやしの證誠寺(しょうじょうじ)、と並んで、いやそれ以上に与三郎とお富の「切られの与三」が全国区でポピュラーだったのだ。だから私が子どもの頃の光明寺は観光客が結構来ていたような記憶がある。最近では「木更津キャッツアイ」が一般的に知られているけど、与三郎を知ってると、ちょっと自慢できるかもよ。

で、この寺には私の友人も眠っている。1980年、彼は交通事故で短い生涯を終えている。彼の墓参りは久々だ。手ぶらで行ってしまったが、また近々寄るので、勘弁してほしい。彼の眠る墓は上の写真の右。本邦初公開。彼の生きていた時代にはインターネットなんてなかったので、まさか自分の墓を友人の手によって公開されるなんて思いもよらなかっただろう。ま、でも彼は当時、最高にトレンディな奴だったので、こういう世の中になることくらい予見していたかもしれない。



上の左が与三郎の墓。私の友人の墓にはちゃんと花が飾ってあったけど、こちらは看板のペンキも剥げてるし、あまり注目されていないない、ってな感じだ。

[参考]
http://www.raizofan.net/link4/movie4/kirare.htm
実は私も「切られの与三郎」のストーリーを完全には把握していない。
上のサイトには「あらすじ」が掲載されているので、興味のある方はどうぞ。


次に、同寺から木更津第一小学校方面に行ってみた。驚いたことに、私が小学校一年生のときにあった通称「じじばば」(駄菓子屋)がまだ存在していた。中を覗くと、女子中学生が二人、何か食べていた。かばんを店先に置いてある。それが上の右の写真。なんか時代が昔に戻ってしまったのではないかと目を疑ってしまった。


2008/5/22
しばざ記 466

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