「俺たち2」管理人による戯言
日記でもない、コラムでもない、単なる戯言。そんな感じ。
筆者は幕張ベイタウン在住のおやじ。結構、歳いってます。はい。
しばざ記
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市内のほぼ中央を流れる矢那川の鯉のぼり
「失われた里山(木更津)」
子どもの頃の遊び場だった祥雲寺山(しょううんじやま)
その向こう側にどこまでも連なる緑の丘陵が・・・・。

5月3日から6日まで世間は4連休だ。人並みに連休を取りたくても3日は仕事、4日は午前中は仕事だった。忙しいのは有難いこと。薄給だから数をこなし、一所懸命働くのはしごく当然のことだ。さて、5日のこどもの日は、というと、一日実家で過ごした。老母がちょっとした交通事故に遭い、足にぐるぐる巻きの大きなギブスをしている。何かと色々な手助けしなくてはならない。そうは言っても私はたいした戦力にならず、殆ど妻と子が動きまわった。悪りぃ!

本来なら寸暇を惜しまず実家に行ってやればいいのだが、なかなかそういうことが出来ないのが申し訳ない。近々また、暇を見つけて駆けつけるつもりだ。

5月4日は曇っていた。時々冷たい雨がぱらぱら降ってくるぐずついた一日。昼食、昼食の片付けをして、私たち親子は散歩がてら買い物に。紙に書かれた実家の日用品、食料品を買う為だ。矢那川沿いに駅に向かう。川を跨ぐように、大小様々な鯉のぼりが泳いでいて美しい。川面にも映って揺れている。私は素早く一所懸命写真を撮って、どんどん先に行く妻子に追いつくのに必死だった。少しくらい待つといういうことが出来ないのだろうか。まったくもう。

川から直角に折れ、線路伝いに歩く。潮干狩りの団体列車が停車していた。駅を越え、反対側のアクア木更津の中のスーパー「マルエイ」や「ダイソー」に行った。アクア木更津はかつて、ちょっと有名になった木更津そごうの跡であり、閉店後、第三セクターの商業施設になり(その辺りはあまり詳しくない)、そしてアクア木更津になった。Wikipediaもあるし、公式ホームページもあるので、詳細はご参照されたし。

http://www.aqua-kisarazu.com/

(下に続く)

矢那川のイメージ図。矢那川に架かる大正橋の袂にある。この図によると、川を飛び石で渡れるようになっている。 潮干狩りのお客さんを待つ団体列車。もう少し目立つカラーリングでもいいと思う。

久留里線のディーゼル車。このカラーリングになってからも久しい。 線路沿いにあるモンシェリー。K高の生徒の溜まり場だった。今はどうか。


木更津駅のコンコースから富士見通りを見る。相変わらずぱっとしない感じだけど、新しいマンションが建ったりと僅かながら変化している。 これがアクア木更津。木更津でおそらく一番大きい建物だろう。かつて唯一のデパート、SOGOだったビルだ。

木更津に行くと必ず郊外型のスーパーや雑貨屋やファーストフードの店に行く。それらの店はだいたい駅から東の地域で、駅の西側にある古い店には殆ど行く機会がない。木更津キャッツアイの舞台にもなっているみまち通りもおそらく何年も行っていない。駅の西口に面したそのアクア木更津に入ったのは名称がアクア木更津になってから初めてだ。

一旦実家に戻り、そして休憩。夕刻、妻が食事の支度、私と息子はまた散歩しに外に出た。どうもあまり長いこと家の中にいるのが苦手なのだ。今度は祥雲寺山(しょううんじやま)に行くことにした。日本武尊の恋の森や金鈴塚博物館、上総博物館でちょっとだけ有名な太田山に比べて祥雲寺山は地元の人でもあまり行かない場所だ。でも私が小学校の頃には遠足に行ったり、探検ごっこして、その山中で遊び回っていたのだ。

まずはふもとの長楽寺に行く。本来は杉の大木の参道がいい雰囲気だった。でも当時の大きな杉はどんどん無くなって、今、若い木を育成中。残念ながら迫力は無い。私が小学校の頃にはその参道が時代劇にも使えそうなくらいだった。もっとも幼い頃の記憶はかなり美化されているので当てにならない。

長楽寺はシートに覆われていた。改築中のようだ。数枚写真を撮ってから、参道を戻り、車道に出て田圃(たんぼ)沿いに南に歩く。その辺りでは田圃は珍しくなってしまった。三十年前には一面の田圃だったと記憶している。5分ほど歩き、祥雲寺という目立たない看板の路地を曲がる。車が一台通れるくらいの道は、緩い勾配。ほどなく、緑に覆われた古刹、祥雲寺に着く。曇っていなかったらそこから東京湾方面の景色が楽しめる筈だ。祥雲寺の奥は古めかしく、いかにも山の中にぽつんとある八幡神社だ。そこから先は車が入れない山道になっていて、尾根を越え、反対側に出られるのだ。

数十年前の記憶を辿り、粘土質の山道を注意しながら登った。最近、ちょっとした登りの散歩が多くなっている。息子はこういう散歩が嫌いでないようだ。私の血が混じっているから当然なのだ。息子に、「お父さんが子どもの頃はこの辺りが遊び場だったんだよ。」などと話しながらその山道を歩いたのだが、その話にはまったく興味を示していなかった。相槌くらい打ってほしいものだ。

子どもの頃、深山だった印象の祥雲寺山は、今、息子と二人で登ったら、あっさりと、尾根に出てしまった。そんなもんだったのか。そしてそこから反対側を眺める。本当だったら、尾根からの景色はどこまでも房総の緑の丘陵が続く素晴らしいものだった筈だ。ところが、大規模な開発で、山が無くなっていた。正確に言うと、住宅を作るために造成しているところだ。いや、途中で資金難だかの問題で工事がストップしたままになっているような雰囲気だった。里山が無くなり、こういう状態になっているのが悲しい。実にもったいない。

私は造成地を眺めながらしばし感慨に耽っていた。見てはいけないものを見てしまった気分だった。息子は、山歩きに飽きてしまった様子だった。失われた里山への悲しみを息子に説明するのも野暮だし、段々薄暗くなりつつあるので、帰ることにした。今度ここに来るのはいつになるだろうか。そして、次に見る景色はどう変っているだろう。

(おわり)

長楽寺の門前に広がる田園風景。この辺りの田圃はここだけになってしまった。 長楽寺の参道。かつてはもっと鬱蒼としていた。昔はここで弔いの行列を何度か見た。 地蔵菩薩。相当古いようだ。上部が欠けている。愛嬌のあるお顔。

祥雲寺の参道を入ってゆくと地蔵様に突き当たる。左右どちらに行っても祥雲寺にたどり着く。 この階段を昇ると祥雲寺の本堂がある。アジサイ、桜、つつじと花のお寺としても密かに人気。 正面が本堂。この時刻(夕方の5時頃)だからか、誰もいなく静まりかえっていた。

祥雲寺の更に奥には八幡神社がある。鬱蒼とした森の中で、トトロが出てきてもおかしくない雰囲気。 八幡神社の境内。苔むした狛犬さんがいっそうムードを高める。 神社の裏手から尾根に登る道。粘土質で滑りやすいけれど、適度に落ち葉があって、案外楽に登れる。

写真右は、実家に戻る度によく利用していたCDショップの「すみや」。現在はTSUTAYAの系列になっていて、ゲームも扱っている。少なくとも二十数年お世話になった店だけど、5月18日をもって閉店してしまうようだ。物凄いショック。20パーセントオフのセールをやっていたので、今更ながら、ちょっと売上に協力した。

それから、同じく時々行っていたそこそこ馴染みの居酒屋が既に無くなっていた。雰囲気からして、もう一年以上も前に無くなっていたようだ。それもショック。



2008/5/7
しばざ記 458

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