「俺たち2」管理人による戯言
日記でもない、コラムでもない、単なる戯言。そんな感じ。
筆者は幕張ベイタウン在住のおやじ。結構、歳いってます。はい。
しばざ記
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「小川美潮」
へんてこりんだけど、とても理知的なボーカリスト。
しかも、美人。

私がくだらないもの(モノでも文化でも)とか、ヘンなものが好きなのは、おそらく中学生の辺りからじゃないかと思う。いや、小学生の頃にも多少「ヘンなもの好き」の素質はあった。でも、やっぱり、ごくごく一般的な範囲だったと思う。抜きん出てヘンな奴ではなかった。あ、チープなものが好きだったかも。牛乳瓶の蓋集めとか。(笑)

中学生の時に「くだらないもの好き」、「ヘンなもの好き」を決定的にしたのは、プラモ少年からラジオ少年(ラジオのリスニング&ラジオの組み立て)に飛躍したことであろうか。それが元で真空管で動作するガラクタやら部品を収集したり、自作のトランジスタラジオで聴いた深夜放送からヘンな文化を吸収したりしていた。(何故か私の作ったラジオはチューニングがうまくゆかなくて、海外の放送が思い切り入ってきていた。)

もちろん、一般的な趣味もきちんと吸収していた。糸居五郎のオールナイトニッポンやらで洋楽を覚え、洋モノレコードを聴きまくったことか。ひと通りビートルズを聴いて、FEN(米軍の極東放送)の深夜、ウルフマンジャックのDJでプログレも聴いた。今でこそレアなものがポジティブに捉えられる時代だけど、当時、レアな音楽を知っているだけでも、ちょっと人前では恥ずかしくて言えなかったような気がする。そう、何故か私、へんてこりんな音楽が好きだったのだ。

更に私はヘビーなBCL(当時の裏文化)だった。特に、モスクワ放送や、中国国営放送、あるいは、わけのわからない放送局から流れてくるオリエンタルの雰囲気の音楽が好きだった。得体の知れない放送局の、日本人が誰も聴いたことのないような音楽を聴くことに、少し優越感があったのだ。後年、タモリがモスクワ放送局の日本語放送のアナウンサーを真似していたのには笑った。今では大御所に登りつめてしまった人だけど、最初はそうしたちょっとヘンな裏文化がネタだった。彼もアマチュア無線を確かやっていたはずだ。それを見事ネタにしているところが凄い。

後年、そのちょっとヘンな音楽をやってくれちゃってたのが、矢野顕子とか、YMOだろう。私がヘンな音楽(ここで言うヘンなのとは、洋モノに東洋的なものを組み合わせたもの等)を好きになってからYMOが出てくるまでに何年か経っていたが、あまりにも私の嗜好にマッチし過ぎていて、気持ちが悪かったのを覚えている。でも、彼らは爆発的に売れた。と、いうことは、私がヘンな音楽が好きだと思っていたのは、実はレアなことではなく、割合みんなもヘンな音楽が好きだったのだ。

で、なんでみんなヘンな音楽が好きなのか、ということを考察してみた。あ、そんな大げさなことではない。1960年から70年のあの時代、めちゃくちゃかっこよかったとされるブリティッシュのロックや、アメリカンポップに、オリエンタルなものを「えいやっ!」って合体させてしまったのは、ビートルズだったのではないか。初めは、あのビートルズが信じられないような音を持ち出してきたことに、ファンからは驚きの声が上がった。でも、段々慣れてきて、しまいには、シタールの音、イコール、ビートルズという図式が出来上がった。(じょん吉さんによると、小野ヨーコがいたればこそあの音楽があったのだ。)

おそらく、そんなのやあんなのが、あの当時の音楽を聴いてた人の中に自然と染み付いて、普通の洋モノも聴くけど、オリエンタルなものが混在した、ちょっとヘンな音楽でも許容しちゃう、つうか、むしろ懐かしく思うというのはそういうことなのだろうと思う。おっと、そういえば、内田裕也がプロデュースして、ジョー山中がボーカルをやっていたフラワートラベリンバンドなんてまさに、そういうテイストだった。外人が間違った観念で日本を捉えた、あの感覚が、逆輸入的でかっこいいのだ。

さて、本題の小川美潮さんのチャクラ(バンド名)を初めて聴いたのは忘れもしない八ヶ岳に遊びに行って、その帰りのクルマの中だった。貧乏だけど、怠惰で、ある意味優雅な生活を送っていた時期だった。村上という高校の同級生と、朝まで酒を飲み、翌日の昼過ぎに目覚め、目的も無く、ポンコツのクルマで夕方に八ヶ岳の清里辺りに行ったのだ。帰りは夜遅く。脇道に逸れたり、夜の渓流の音に聴き入ったり、物凄く田舎の駅のロータリーにぽつんとあるような店でラーメンを食べたりと、怠惰なドライブを楽しむ。しかも、どこかで仮眠して、午前2時頃になっていた。プッシュボタン式のAM放送しかないチープなラジオから流れる深夜放送。星明りの八王子辺りの国道20号を走っていたときに、素っ頓狂な美潮さんの声が聴こえてきたのだ。

曲名は「福の種」だった。一瞬、耳を疑った。こんな曲があっていいのだろうか。そして、こんな馬鹿馬鹿しい曲があっていいのだろうかと。次に大笑いした。助手席の村上も腹を抱えて笑っていた。くだらないといったら、失礼なのだが、冒頭の「ヘンなもの好き」、「くだらないもの好き」の私に、見事にハマったのだ。それから、暫くは「福の種」をまた聴きたくて、聴きたくて、恋焦がれていたのである。とにかく一度しか聴いてないのに、完璧にインプットされていた。次に聴けたのは、かなり後になってから。

「ふっくのたねっをまこう〜しあわせのたねをぉ〜♪」

それまでは、ボーカルの小川美潮なんて、絶対にお笑いタレントみたいな、おかめ顔の、そうだな、今で言えば柳原可奈子(字あってる?)みたいな人物を想像していた。しかし、たまたまジャケットを見たら、チャーミングなのだ。理知的でもある。うわ、それにチャイナ服。あの素っ頓狂なボーカルとルックスが全然マッチしてないところがまた凄く好きになっちゃったのだ。ルックスに関してはその時のジャケットの写真が最初で最後になってしまった。ホームページ等で最近の写真も見たけれど、いやいやおばさん(失礼)になってもお美しい。

で、途中省略。最近、tomtomさんのお陰で、再び「福の種」を聴くことが出来るようになった。その話を先日のロックコア2008の打ち上げでしていたら、Yoshiさんをはじめ、数人が、「福の種」を知っている、という。しかも、「有名ですよ。ヒットしたじゃないですか!」とまで言う。本当か。少なくても私があの音楽を聴いて早30年(くらいだと思う)以来、私の近辺に「福の種」を知っている人物、まして小川美潮を知っている人物はいなかった。それを立て続けに知っている人が出てきたなんて、どうなっているのだ。さすが、ベイタウン。さすがベイタウン中年バンド。

ちょっと付け加えると、現在の小川美潮さんはチャクラのオリジナルメンバーの板倉文さんたちと「うずまきずう」というユニットを組んで、全国各地でライブをやっている。何度かスケジュールを確認してはライブに行きたいと思っていたものの、どうも他とかちあって、いまだに行けないでいる。恋焦がれていた人に会うのが怖いというのもあるのかもしれない。そうそう、チャクラが解散した後の美潮さんは坂田明さん(これまた好きなおっちゃんだす)のユニットに入って活躍していた。そのときの美潮さんの声もばっちり覚えている。確か、レコードも買ったと思うのだが・・・。

2008/4/30
しばざ記 454

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[付録]
おじちゃんの絵日記

「温泉に浸かりにいったのだ」
本当は仕事絡みなんだけど、上州に行ってきた。榛名山に行って、ちょっとした山登りもしたし、水沢うどんも食べた。最後には温泉に入ってのんびり。でも、でも、次の日に予定が入っていたので、日帰り。実にもったいなかった。旅館の女将は今日は平日料金だから宿泊料金は安いですよ、なんて言ってた。まさに後ろ髪の引かれる思いだった。



上は榛名富士と榛名湖。
この標高だと新緑はまだこれから、といったところ。
確かに寒かった。

上の写真は有名な伊香保温泉の石段のすぐ下にある観山荘(旅館)のパンフより。まさにこの温泉に浸かってきたのだ。めちゃ気持ちよかった。平日だったので、お客さんも少なくて、ちょベリグーだった。




「ガソリンが値上がりしそうだ」
この文章を書いているときに、国会ではガソリンの値上げの採決をやっているのだが、どうも値上げは可決しそうだ。そんなわけで、おとといあたりから各地のガソリンスタンドで長蛇の列ができている。ごたぶんにもれず、私も並んで給油した。

いったいどのくらいアップするのだろうか。今、ベイタウンのコスモ石油だと、会員で116円だ。右の写真は3月12日。そのときはご覧のように142円だったから、今より26円高かった。また元に戻ってしまうのか。それとも、もっとアップするのか。仮に26円アップでも、50リッター入れると、26円×50だから、むむ、なんと1000円以上違ってしまうのだ。こりゃ大問題。

頭痛いわ。



[付録]
写真を送っていただきました
いや〜、嬉しい。「しばざ記」をご覧頂いた、小川美潮さんのファンの方、いや、関係者?の方からメールで写真を送って頂きました。1982年の写真だそうです。因みに、この方もベイタウンにお住まいです。



上がその写真です。右はアップ。送ってくださった方は一番左端です。26年前とは言えども、センターフォーカスにして、周囲をぼやかしてみました。赤いミニスカートが素敵ですね。それと、気になったのは、美潮さんの太ももに包帯が巻いてあります。怪我でもされたのでしょうか。それともギャグなのでしょうか。



(2008/5/2 **さんご提供)
こちらは、「STUDIO VOICE 1982年1月号」だそうです。その頃の美潮さんは、既に坂田明さんのところで一緒に活動したりと活動の範囲を広げていってます。それまでのオリエンタルで、ポップで、コケティッシュで、ややキッチュな世界に、坂田氏のジャズ的要素(はちゃめちゃで壊滅的な思想なども含めて)が加わっていったのであります。

いずれにしても写真を送ってくださった***さん。まずはお礼。有難うございました。そして、若い頃の美潮さんと一緒に写真に納まっていることに対して、激しい嫉妬。くやぢい〜。羨ましいです!!





またまた追加・・・・

YOUTUBEで、チャクラの「福の種」のライブ映像を発見。


懐かしいっす!
美潮さん、可愛らしい!!!

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