「俺たち2」管理人による戯言
日記でもない、コラムでもない、単なる戯言。そんな感じ。
筆者は幕張ベイタウン在住のおやじ。結構、歳いってます。はい。
しばざ記
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「みんなが同じことを言う怖さ」
日本は言論の自由が保障されているのだ
どっかの国みたいに、他と違うこと言って抹殺されるようにならないことを望む

最近、こんにゃくラーメンを食べるようにしている。少しでもダイエットに効果的なのかな、なんて思っているのだけど、果たしてどうかな。始めたばかりなので、どうにもこうにも報告する段階でもない。それに、こんにゃくラーメンを食べた後には、空腹に耐えかねて間食しているのだ。(苦笑)

で、表題の件。昨日の昼に船橋の大衆食堂でニュースを観た。光市の母子殺害事件の公判で、死刑が出た瞬間に、私はちょうど中華丼と、野菜炒めを食べていた。枕の文章に反するが、もちろん、こんにゃくラーメンではない。しかも、ボリュームたっぷりだ。

この事件、考えるだけでも悲痛な気持ちになる。国民の殆どが同じ気持ちだろう。被害者のご冥福を祈る。最愛の妻子を殺されてしまったMさんの気持ちを考えると、取り乱してしまいそうだ。逆に、人を殺めてしまった、当時18歳の彼を、親の立場になって考えると、同様に非常に悲しまずにはいられない。18歳で収監され、本来ならば人生を一番謳歌する月日を拘束され、そして死刑を求刑される。いったい何の為に生まれてきたのだろう。

判決の瞬間、裁判所の中から記者が猛烈な勢いで走ってきて、カメラの前に立ち、しどろもどろになりながら、「死刑です!し、死刑の判決が出ました!」と叫んだ。やっぱり。それは国民の誰もがそう思ったに違いない。被告も、被告の弁護人も、裁判官が主文を後回しにした時点で、厳罰が言い渡すことを予測できた筈だ。

次に私が書くことは、決して被告や被告弁護人を擁護しているわけではない。むしろ私が当事者(被害者の遺族)だったら、ありとあらゆる手段で犯人をぶっ殺してやりたい気持ちだ。←こんなことネットで書いていいのか。

まず、判決後に、色々なネットの書き込みを閲覧した。殆どの人が「死刑で当然」、「素直に死刑を認めろ」、「被告弁護人は頭がおかしい」、「死刑を免れるためにウソをついている」、「弁護人は被告をそそのかしている」などなど、当たり前だが、被告側を糾弾している。中には「早く死刑を執行しろ」というのもある。被告側が死刑を不服として、即日上告を表明したことについても猛烈に反応している。マスコミも一応に被告弁護団を非難している。

私も「ドラえもんが・・・」とか「復活の儀式」というような荒唐無稽の言い訳じみた弁は信じ難い。だが、みんな同じこと言って、被告人側を糾弾するのはどうかな、と思う。「弁護人は死ね」とか、「襲撃するぞ」などと脅している輩はもってのほかだ。

どんな極悪人も弁護士をつけることは出来るわけだし、裁判で自分を有利にすることを言える権利がある。上告も権利だ。弁護士も一旦引き受けた以上は、被告の無罪、または減刑の為に一所懸命やるのは当たり前だ。それが仕事だからだ。そこを冷静に考えなくてはならない。

裁判は情だけでもないし、国民感情だけでもない。多くの人間が支持したからという多数決でもない。そこが難しい。来年から、一般市民が判決に関わってくる。今回の一連の裁判を見ていると、何か恐ろしくなってくる。圧倒的な力を持つ大衆心理は、コントロールが効かない。感情が事実をも乗り越えてしまいそうである。


2008/4/22
しばざ記 449

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