「俺たち2」管理人による戯言
日記でもない、コラムでもない、単なる戯言。そんな感じ。
筆者は幕張ベイタウン在住のおやじ。結構、歳いってます。はい。
しばざ記
[INDEX-08]   >>> HOME


神田須田町の界隈
かつては連雀町と言われていた一帯は辛うじて戦災を免れた


前回の続き。神田まつやに来る度に時間があるとこの須田町の界隈を歩くのが好きだ。この界隈は奇跡的に戦災を免れ、大正時代、昭和の初期の頃の木造建築が残っているのである。ビルの谷間にこれだけまとまって古めかしい建物があるのは都心では珍しいのではないだろうか。

今回は駐車場を探すためにさまよった。運悪くどの駐車場も空きがなかった。さまよいながらも、しかし、お馴染みの神田やぶそばをはじめとする神田まつやの裏手の辺りはいつ歩いても楽しい。竹邑(たけむら)、伊勢源、ぼたん、などの老舗のお店は見ているだけでも懐かしく、嬉しくなってしまう。それから、神田川沿いの風流な景色。中央線の赤煉瓦ガードなど、じーんと来る。この界隈を中学生の私が、夜中に徘徊していたこともある。あ、この話は長いのでまた後日。

以下は今年だけでも十数回に渡るこの界隈を歩きまわったときの写真を抜粋してみた。全部で数百枚もあるので、逆にちゃんと吟味できない。いつか時間のあるときに、整理してみたい。右上(斜め上)の写真は2007年5月にシンさんが撮影。


神田須田町の散歩は、まず神田まつやをスタート。



左は、2007年5月に行ったとき、ちょうど連雀町の神輿に関する儀式をやっていた。御霊入れだったかな。神田まつやの大旦那、若旦那も参加していた。右は、そば屋の名店が居並ぶ中、連雀町の中心に店を構えて頑張っている立ち食いそば。私は何度か食べたことがある。結構美味しいと思う。



路地の突き当たりに名店、神田やぶそば。
都心にこんな建物があること自体、凄い感動である。
また、周囲には個性的なイタリア料理の店や古い喫茶店も多い。
2007年1月撮影。



あんこう鍋のいせ源。左は2007年1月撮影。右は今回撮影。夜の雰囲気がなかなかオツなのである。一度くらい入ってみたいけど、やっぱり、数万円のご予算なんでしょうなあ。私にはちとキツイ。




鶏料理でやはり有名な老舗、「ぼたん」。ドラマの舞台になりそうな雰囲気。まつやのすぐ裏手にある。
(2007年12月14日 撮影)



甘味処の「竹邑」。若い女性にも凄い人気。神田まつやのそばを食べた後のデザートはここ。



左は喫茶「ショパン」。神田まつやの裏手にあり、神田まつやの大旦那さん、若旦那さんの御用達。中はいかにも昔の喫茶店という感じで、適度に暗くて、落着ける。右は連雀町の小さい神社。都会の片隅にある小さい神社っていいね。


左は取り壊しが始まったばかりの交通博物館。2007年1月撮影。右は、その左側の写真の部分な無くなってしまった交通博物館。2007年12月撮影。



左は、2007年8月の交通博物館。今はこの文字は無い。右は、まつやさんの前の通りに面した歯医者さん。右から左に流れる文字が素晴らしい。



連雀町の突き当たりはJRの赤煉瓦の高架。大正ロマンを感じずにはいられない。右は万世橋。いずれも1月に撮影。



左は神田川。御茶ノ水方向を見たところ。右は万世橋のガス灯。今はもちろん電気だけど、ガス灯のイメージで橙色っぽい光である。



左は昌平橋から万世橋方向を見たところ。左側の半円筒形のビルは「肉の万世」。昌平橋も万世橋も都内で最も好きな橋のひとつである。


左の写真のほぼ中央のビルは神田郵便局。手前が昌平橋。総武線のガード下の交差点より。右が総武線。ちょうど上を総武線の電車が通過している。


左は神田明神。神田まつやから歩くのは、ちょっとした運動だけど、まあしかし、食後の運動にはちょうどよいかもしれない。右は神田駅。神田明神まで行ってから折り返し歩いた。実際には秋葉原の駅のほうが近い。2007年1月撮影。

2007/12/18
しばざ記 369

▲このページの先頭へ



[追記]

後日(2007年12月20日)に、再び神田まつやに行き、店内に置いてあった神田連雀町のパンフレットを貰ってきた。そこにはまつやをはじめ、上で紹介したお店が出ている。下はそのパンフより。イラストマップで双六が遊べる仕掛けになっている。



交通博物館が無くなってしまっているのが惜しい。

(2007.12.21)

▲このページの先頭へ


<<< 前の記事
次の記事 >>>