「俺たち2」管理人による遠距離通勤電車マガジン

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久々のコラム
コラムったって、偉そうに言ってるだけで、たいしたもんじゃない。
第一文章を書くのは(本当は)苦手なのだ。(勉強してないから語彙が少ない。)
と、言い訳しつつ・・・。



プレイボタンの無い人生
パソコンを始めてから段々とメディアが多様化して、いったいどうすればいいんだ、というジレンマに陥っている。

私が中学生の時、小遣いを貯めてカセットデッキを買った。それまで安物のオープンリールのテープレコーダーで録音した小学校の頃の下手な歌や、ラジオに繋いで録った流行歌やアメリカンポップスなどのデータ資産(といっては大げさ?)はその時におさらばしている。何度かカセットテープに複製しておけばよいと思ったのだが、その頃、カセットテープは中学生の小遣いでばかばか買えるほどの安いものではなかったのと、面倒だったので、実行には至ってない。今から思うとまことに残念なことにオープンテープレコーダーがどこかへ消えた(処分した?)あたりからそのテープも紛失してしまった。

カセットテープはその後凄い勢いで量産され、値段もぐんぐん落ちた。記録媒体の王様であった。高校生になってからFM放送のエアチェックに夢中になった。好きな音楽はレコードも買ったが、これもまた高かったので、もっぱらカセットテープに保存しては、一生懸命聴いた。ライブラリはどんどん増加して、勉強するよりも録音する時間のほうが遥かに長かったような気がする。また、一発録音でフェイドイン、フェイドアウトをキメなくてはならないので、気遣いも相当なものである。

レコードの数もいつの間にか半端ではなくなった。その後、CDが登場してきた。頑なにCDを否定していたのだが、二十代の後半に私もCD派になった。なぜCDを、CDデッキを買わなかったのかと言えば、せっせと買い込んだ(アナログ)レコード盤を主流にしておきたかったからだ。世間で既にCDが主流になった時代もひたすらレコードを買い続けていたのだ。

映像のほうは、というと、私の実家はビデオデッキが比較的安くなる前におやじが酔った勢いで大枚をはたいて買ってきたので、早くから存在していた。最初の頃はおっかなびっくりで、しかもメディア(ビデオテープ)が高いせいで1つのテープを何度も重ね録りしていた。16、7年くらい前にやっと存分に録画できるようになった。ビデオカメラの出現もその辺りだろうか。高価ででかいタイプだった。これも勿体無くてそんなにむきになって撮影していたという記憶は無い。ソニーのハンディカムあたりが画期的なサイズを実現してからやっと家族の記録を綴りだした。

私はどちらかといえばスチールに凝っていた。今じゃ、現像費だけで、プリントが無料というサービスもあるが20年前は24枚撮りで1200円強の費用がかかった。しかし、旅行やスナップ、イベントを記録するのにはこれしか無いというくらいメディアの主流だったわけだ。私の場合、写真にかける費用は月にフィルム代と現像、プリントで3万円くらいだったか。好きだったのもあるが、鬼のように写真を撮りまくっていた。

昨今、デジカメがブームである。気に入らない写真はプリントしなくてもいいので月に3万円もかけるなんてことが必要じゃなくなった。まことに嬉しいことだ。しかし、高画質になったことで、どんどんメモリーを占領してゆく。デジカメになってから私のシャッターを押す回数はますます増加した。1枚500KB以下には抑えているが、それでもちょっと旅行に行くとトータルで80MBくらいの枚数は撮ってしまう。格安のCD−Rが出回っているのは最近のことで、少し前までCDに焼くなんて贅沢なことだった。

今から7、8年くらい前だろうか。PCカード形のメモリを買った。8MBで6万円くらいした。その前は1MBで1万円だったから幾分落ちたかど、メモリの高さにはまいった。なんせ、8MBなんて、ちょっと画像の重たいファイルを数枚入れただけでぱんぱんになってしまう。それが、数年前にスマートメディアだが、8MBが7〜8千円くらいまで下がった。今は2〜3千円くらいか。128MBでも店頭では1万円以下で買える。

なんだかんだと、私は記録媒体に金を投資してきたわけだ。スキャナーも、デジカメも、記録する為のインターフェイスである。ビデオカメラ、テープレコーダーなども同様。いったい何の為に必死に記録するのだろう。若い頃に映画の録り溜めを良くやっていた。おそらく今観れば珍しい映画もあるだろうが、貴重なCFがたくさん入っていそうで、ちょっとした財産である。だが、

「ビデオとかCDから録ったものって、たくさんあってね、仮に暇を見つけて一生懸命鑑賞したって、一生かかってしまう。」と言う近所の友人。先日、そんな会話をした。私もきちんと整理していないので、どこに何があるか分からない状態。記録するのに精魂尽き果てて、整理する気力が無かったのが本音。CDならまだしも、VHSのテープはかさばるので、押し入れ行き。そのうち、どこかに無くなってしまう。押し入れのこやしを減らす為に、妻が強引に捨ててしまっているような時期もあった。

さて、そんなビデオテープともそろそろおさらばする時が来た。目覚ましい技術の進歩によって、映像も簡単にディスクに収めることが出来る時代になったのだ。我が家ではもうすぐDVDにデータを書き込めるタイプのPCを新調するのである。これで、大量にあるビデオテープ、レーザーディスクを一気にDVD化に出来る。今まで外付けのCD-RWドライブでせっせとアナログからデジタルに変換し、コンパクトにしていたが、映像をそうやって収納出来るのは画期的なことである。

これは嬉しい。だが、不安もあるし、今まで無かった作業が発生するので、ある意味苦痛でもある。そう、かつて、せっせと溜めてきたデータを再び別のメディアに記録し直すのである。どのくらいのパワーを注ぎ込むのであろう。そう考えると気が遠くなる。我が家にスキャナーが登場した時もそうだった。あまり必要でない写真や、どうしても捨てられない雑誌、書籍をどんどんデータ化し、コンパクトに保存する為に、どれだけの時間を費やしたのだろう。しかも、何度も挫折している。

パソコンが新しくなり、また、保存する時間が増える。もちろん、パソコンはデータを作るという役割もあるし、情報を取るという役割もある。しかし、私はパソコンと関わりあってからこのかた、ずっと保存する作業に一番時間を裂いているいるような気がする。これからは、保存する作業をやりながら、一方で別のことが出来る筈だが、今まで使ってきたパソコンはマルチタスクといいながら、保存作業をやっている間は他のアプリケーションが使えなかった。保存する作業はかつてテープ残量を気にしながら、はらはらしながらエアチェックをしていたあの頃と殆ど変わらないのだ。

だんだん処理時間が短縮され、保存に関するリスクも少なくなってきた。これからの時代を生きる人間は私のようにせっせと馬鹿みたいにデータの保存や整理をしなくてもよくなったのか。いや、私も几帳面なほうではないが、パソコンにそれほど興味の無い人間には、そんなこと無縁だろう。よくよく考えてみれば、私の人生の大半は保存する為の時間だったように感じる。たくさん貯めに貯めている感じ。金だったら億万長者だったはず。金でないのが残念。

例えればつまり金をしこたま持ったまま死んでゆく身寄りのない老人のような感じか。い、いや、金じゃなくデータ資産の話だから違うか。レコーディングのボタンはあっても、プレイボタンが無いというへんてこなカセットデッキのようなもの。あるいは、せっせとDVDのディスクを買っても肝心のDVDデッキが無いといったところだろうか。あまりにも膨大なデータ資産を前にプレイボタンが押せないのである。

いつの間にか変な癖が身についたもんだ。学生時代には社会人になるまで、これを我慢して、こうしよう、とか。社会人になれば、もっと給料が良くなるまでは、これを我慢しようと、ある程度生活レベルが上がってきても、昇格して、もっと楽になったらこれをしよう、などと今現実に不可能なことをどんどん先送りしてゆく。そのうち、やればなんとか可能なことまで、先送りしてしまう。気がついてみたら、結局何も出来ずにいい歳になっていた。せっせと溜め込んだビデオや音楽データが一度も再生されずに数十年経ってしまうのと同じ状況だ。

いったい私の人生のどのあたりがプレイボタンなんであろう。この分でゆけば豊かな老後も有り得ない。おっと、そういっているうちに、とうとう新しいPCが届いた。待望のWinXPである。操作方法は今まで使っていた98、会社では2000とそれほど変わらないが、テレビの受信ユニットがついている分、マニュアルもちゃんと読まなければならない。面倒臭い。仕事も忙しかったので、箱に入ったまま4日間が経過した。

このコラムを書き始めてから半月経った。いや、ほったらかしにしていたというのが相応しい。今日は6月の20日。なんとかPCはセットアップできて、無事に動いている。しかし、マニュアルをきちんと読んでいない為に、相変わらず動画の取り込みや編集の機能を使いこなしていない。マニュアルは通勤電車の中で読むことにした。おそらく動画をうまく扱えるようになると同時に例の厄介な保存作業が始まる。手始めに息子の小さい頃のアナログで撮ったビデオテープをハードディスクに取り込むのが最優先されるはずだ。

そういうわけで、なんだかんだ言いつつ、保存することだけに追われる人生は当分続きそうだ。こうして通勤電車の中や会社の仕事の合間にかちゃかちゃとタイピングしているのも言わば保存の為なのか。いったい、どうして、なんて、こんなことを記録しなきゃならないんだろう。いっそ、全部捨てちまえば、なんて想像することもある。いや、私はそれが出来ない性分なのだ。つまらないものでも、なかなか捨てられない。古い雑誌もなんだかの形で保存している。

世の中には、さっさと捨てられる人間と、私のように捨てない人間と大別できるような気がする。前者は消費型であり、後者、つまり私はコレクターなのかもしれない。コレクターも金で対象物や事象を購入しているわけで、一見消費していることみたいだが、絶対に原価償却していない。単に所有しているだけなのだ。好きな映画はDVDを購入するが、たいてい1度しか観ない。その為に数千円という対価を払っているのはなんと勿体無い。いっそ、劇場で観ればどんなに良いことだろう。

電車で読む為に購入した漫画本をまだ完全に読み切っていないうちにぱっと網棚の上に置いて電車を降りる人間は素晴らしい。私は漫画が好きではないので、売店では絶対に買わないのだが、週刊誌などを買って、これは絶対に残しておきたい、という情報がある場合は家に持ち帰る。そして、いつかデータとして保存しなくては、ということでストックしてしまう。

なんだかとりとめのない話になってきた。毎日、少しずつ電車の中でタイピングしている為に前後の脈絡も無くなってきている。今日は6月26日。そして保存の毎日が続いている。


とりあえず、一旦ここで打ち切り。
また機会があったら書いてみたい。

2003/6/26



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しばざ記 Vol.36


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