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            | 「ジミー竹内 写真館 / 通夜・告別式」 
 ジミー・竹内 儀
 
 
 
              
                
                  | 通夜 |  | 1月4日(月) 午後6時より7時 |  
                  | 告別式 |  | 1月5日(火) 午前10時より正午 |  
                  | 式場 |  | コムウェルホール 高円寺 |  
              
                
                  | 以下、このページはジミー竹内宅の近所で生前たいへん仲の良かった錦織氏が文章を書いてくださいました。 |  
 
  平成22年1月4日  *    *    * 
 自宅を午前10時50分 ご遺体は式場へ出発。
 家族に見守られ・・・フォンは鳴らさず、
 寂しく2台の自動車で行く。 凄く良い天気だ!!
 式場に飾るドラム・セットは、パール(パール楽器)で、色はシルバー。
 ダブルペダルでフル装備。ハイハットの部品が無い・・・。
 
 2005年6月25日・・・「75歳の誕生日・少しだけ快気
 祝い・ドラムと共に60年」の会以来セットしていないので・・・。
 
 以前、正月ライブをやったスタジオで、3つの道具箱から、探して どうやら組み立てる。
 思い出したが、鹿児島から、暮れの30日に来たボウヤ(ジーヤ西牧氏)は、苦労していた・・・。
 
 音出しに間に合うか?
 ジミーさんの声が聞こえてきそうな時間でした。
 
 会場に着くと、松本市から若林親子(娘6歳)が来ていた。
 すぐに、エレベーターでドラムセットを搬入。ステージ衣装を飾った間に組む。写真はもう展示済み。
 
 若林氏は「ドラムと共に50年」コンサート前3年くらいジミーさんのそばに居たらしく、世良トリオのこととか、色々エピソードを知っているようだ。
 
 受付はドラム学校の生徒さん、奥さんと美佐子さんのバレエ教室の生徒さんは会計を手伝っていました。
 
 5時30分、竹内和三郎宅の町会長が一番で登場。
 (ジミーさんは町会の有名人です。)
 
 受付には、清水万紀夫氏、R・パイン氏、神村英男氏、玉城典幸氏(沖縄から)、エキサイターズのメンバー、飛鳥晴山苑の介護人、その他多数・・・。
 
 ご焼香が始まる。3階ホールでは、灘田氏のホテルでのワンマンショウ(ジミーさん60歳の時)の懐かしいビデオが流れて、思い出話で盛り上がり、素敵なお通夜でした。
 
 
 
  平成22年1月5日   *    *    * 
 告別式は、風が冷たいですが、凄く良い天気です。
 その中、受付が始まる。猪俣猛氏、つのだ☆ひろ氏、原信夫氏御夫人、伊藤潮氏、渡辺明日香氏、前田富博氏、多数の人々が会葬。
 献花は、渡辺美佐氏、北村英治氏、世良隆氏、井上順氏、川久保ユミ氏、パール楽器の柳沢雅勝氏、小林紀子氏、ジャズ喫茶ベイシーの菅原正二氏、浅井英直氏、ドラム学校生徒さん、バレエ教室生徒さん、マセセプロ曲直瀬氏、ブルースカイ奥田英人氏、世良容子氏、黛ジュン氏、つのだ☆ひろ氏、タイムファイブ氏、クロコダイル西哲也氏、梅田英伸氏、奥平真吾氏、明治学院ソフトテニスOB日比野信也氏、親戚一同、子供一同、その他多数。
 
 読経が済み、弔電の読み上げ、挨拶は長男の豊氏。
 涙のお別れの時。
 参列の皆様に送られ・・・
 
 12時30分 出棺
 
 印象に残ったことは、皆、悲しくて泣いていた。
 
 猪俣猛氏がドラムセットに座り、ジミーさんのドラミングを真似ていた。
 
 
 2004年(3月7日)に青山葬儀場で行われた世良譲氏の「お別れの会」で、最後に「オン・ピアノ せら・ゆずる・・・」と言ったその時、少し離れたところで、小さい声で「オン・ドラム ジミーたけうち・・・」と言う声がした。小雪が舞い散る寒い日でした。
 
 ご冥福をお祈りします
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 ご遺族代表挨拶
 (告別式にて  2010年1月5日 竹内豊)
 
 
 
        
          
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                  | 私は、父 和三郎の長男の豊でございます。遺族を代表いたしまして、ひと言ごあいさつ申し上げます。 
 本日は新年を迎えたばかりの、またお寒い中、父 和三郎の葬儀にご参列いただきまして、誠にありがとうございました。おかげさまで、とどこおりなく式をとり行うことができました。
 
 父は昨年12月29日 午前0時、肺炎のため79歳の生涯を閉じました。
 生前中に賜りましたご厚情に感謝いたし、また入院中にはたくさんの方々にお見舞いいただき、併せて厚くお礼申しあげます。
 
 父は平成10年に脳梗塞で倒れ、そのあと前頚動脈梗塞症と診断され、東京医大で脳外科の手術をいたしましたが、後遺症のため入退院が続きました。従いまして音楽活動を断念せざるを得ませんでした。
 
 倒れる前の50年間余り、ファンの方々に囲まれ、好きな道で精一杯活躍できたのですから、大変幸せであったと思います。
 
 前年の1年6カ月の間、病院から解放され、大変穏やかな生活に入り、ふたたびスティックを握ることを夢見ていたようです。病床にありましても、絶えずスティックを持っているように右手を動かしておりました。
 
 最後まで病院の先生方の懸命な処置をいただき、今日明日と言われてから7日間、私どものところにいてくれました。
 最期は安らかでした。
 
 この後、父には愛用していたスティックやステージ衣装などを持たせてあげようと思います。向こうの世界で、また世良 譲さんとトリオを組んで、思いっきりドラムをたたいてくれることと思います。
 
 本日はこのようにたくさんの皆様方にお見送りいただき、父もさぞかし喜んでいることと思います。父になりかわりまして、厚くお礼申しあげます。
 
 父の亡き後も、変わらぬご指導とご厚情を賜りますよう心よりお願い申しあげまして、お礼のご挨拶に代えさせていただきます。
 本日は誠にありがとうございました。
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 以下は2009年12月30日の写真です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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      |  |  | 管理人: Takashi Shibazaki  制作協力: Kazuco Sano、Ted Sato  / 管理人ブログ しばざ記
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