俺達のコラム

 このページは、私と同じ屋根の下に暮らす(と、いっても同じマンションの住民という意味)、Pretty Ladyさんが執筆した「ときめき」というタイトルのメールを集めたものです。



ときめき(その26)
「なぜ人を殺してはいけないのですか」

「先生、なぜ人を殺してはいけないのですか」・・・こんな質問を実際にある学校の生徒がしたらしい。答えに行き詰った教師は、このような質問に対し答えられるよう、文部科学省にマニュアルを作ってくれるよう頼んだとか。

「なぜ人を殺してはいけないのですか」・・・この質問にだれでも不意打ちを食らうだろう。こんな質問が出るとはまず想像だにしないし、答えの準備がないし、「殺してはいけない」というあまりにも常識としての認識があるし、人間の命に係わる深く重いテーマへのあまりにも淡白な質問の構文が、この質問を受けた側の頭の中を真っ白にしてしまう。おそらくこの質問が投げかけられた教師も同じような感覚だったのだろう、一言で納得させるような言葉が見つからない。複数の言葉を使っても答えが考え付かない。だからマニュアルを下さいとお上に願い出たのだろう。

この質問、それを聞いて呆然としている私、そしてマニュアルを求めた学校・・・この3つを点にして作られたループの中で、抜け道が見つからない。しかし時間をおいて考えてみると、「そんな常識さえないのか」「今の子は云々」と質問をした生徒を批判する事でもないような気がする。この生徒は大きな質問を投げかけたくれたのだと思う。しかし、答えを探そうというプロセスは、宗教の世界に入るような事のように思える。

「なぜ人を殺してはいけないのですか」・・この質問に答えを見つけようとするなら、人間がなぜこの宇宙の中に創られているのか、人間はそれが殺している動物とどう違うのか、そんな所から入っていくのだろう。

宗教は結局のところ「解釈」だと私は思う。人類史上、宗教を生まなかった国はない事から考えると、多くの人間は心穏やかに生きられないのだろうし、心「楽」に生きるため救いを求めるのだろうし、救われる方法は自分自身の物事の解釈を変えることにしかありそうもないし、その解釈を変えるための言葉を求めた先が宗教なのだろう。自分で言葉が見つからない場合、言い換えれば自分で自分を救えなくなった時、より感受性が強く物事を包含して見られる賢者の言葉を頂きに行くのだろう。私が尊敬するある住職が言っていらした。「自分を見失わないでいられる方は、既に心に宗教をお持ちなのです」

実は、上の生徒の質問は、作家の五木寛之を案内人とするさまざまな国の宗教紹介番組で、彼が韓国の華厳経の一番上に座する人にこの質問を引用し答えを求めたもの。華厳経の僧は「人間の根っこは同じ、一つの木から枝分かれしている・・・」(残念ながらその後の言葉までは放映されなかった)。

この「ときめき通信」をいつもより時間をかけて書いている過程で(内容も内容ですが、夏休みなものですから)、私の中にもよちよち歩きの言葉が一つ一つ出てきて、一列に並び始め、私の解釈が出来上がりつつあります。皆さんはなんと答えますか。

最後にこんな言葉をお送りします。

重い病を患ったとき、苦境に直面したとき、元の状態に戻そうとするのではなく、これを一つの経験として捕らえてみてはいかがでしょうか。つまり、新しい自分を創っていく機会だと捉えたらいかがでしょうか。そうすると目の前がぱっと明るくなり、自分が何をすればよいのか、これまでの生き方や価値観など、内面を見つめなおすことがあるでしょう。苦境に陥ったならそれを作った自分がいたのではないか、それならそのストレスの多い人生を作った自分を見直し、新しい自分を創っていくのです。たとえば、がん患者はがんを何とか治したいと思うけれど、がんが治ることが生きる本当の目的ではないと思うんです。がんが治って健康体になって、これをしたい、あれをしたい、こういう生き方をしたいというところに、本当の目的があるのだと思います。病気が治ることより、一つの苦境から解放されるより、「わたし」が治ることが先決だと思います(日本ホリスティック医学協会副会長)

まだまだ暑さが続きます。これをどうエンジョイするか、これも新しい自分を創る機会?うへ〜、でも・・・なんでもエンジョイしちゃいたいですねぇ。

Pretty Lady

(2007/08/17)





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