小説 ザリガニ・フェア
zaki

幕張メッセで3日間に渡り、「ザリガニ・フェア」が開催される。
全国から最高級のザリガニが一堂に会すのだ。
マスコミの過熱ぶりも取り沙太されるビッグイベントである。
黒沢は、開催が近づくにつれ、胸の鼓動が高まり、じっとしていられない。
なにしろ、小学校から28才になるまで、熱狂的なザリガニファンなのだ。
初めて「マッカチン」と呼ばれる真っ赤なボディに大きなハサミを持ったザリガニの王様を見た瞬間にザリガニの虜になっていた。

「おい、どうしたんだ、黒沢。調子悪いんだったら、応接室のソファにでも座っていろ。但し、家に帰るなよ。納期が迫っているんだ。」
課長の狭山が黒沢を見て怒鳴った。
体調を心配しているのか仕事を心配しているのか分からない。
黒沢の仕事は、オフィスオートメーションのソフトウェアの開発。
納期が迫ると、殆ど泊まり込みの体勢で会社に缶詰になる。
「せっかく幕張メッセの近くに就職したのに。」
黒沢はうなだれるようにつぶやいた。
「え?なんだって?なに、ぶつぶつ言ってんだ。休憩するんだったらとっとと休んで、すぐに持ち場に復帰しろ。」
所山は語句を荒げて叫ぶと、早足でどこかに行ってしまった。

黒沢の職場は海浜幕張駅に隣接する超高層ビルで、そのまた隣には幕張メッセがある。応接室の窓からは、真下に幕張メッセの巨大な銀屋根が見下ろせる。明日からいよいよ「ザリガニ・フェア」が開催されるのだ。おそらく、今日も明日も缶詰になってしまうので、様子を見にゆくことすら出来ない。黒沢は段々憤りさえ感じるようになった。応接室から出ると、すぐに狭山のデスクを目掛けて歩み寄り、鼻をふんふんさせながら噛みつこうと思った。

「あれ?狭山課長は?」
黒沢は近くにいた総務のペタ子にすっとんきょうな顔をしながら話かけた。
デスクにいると思った狭山が不在だったので、拍子が抜けてしまったのだ。
「うーん?知らなーい。自分で探しなさいよ。」
ペタ子は黒沢の気持ちなどどうでもいいような感じで、顔も向けないままつまらなそうに言った。
まったく酷い女だ。もう少し状況を判断してから物を言え、こっちは必死なんだ。
「なあ、ペタ子さあ、課長ってさあ、俺達を完全に歯車にしか思ってないんじゃないか?」
「うるさいわねえ。いいじゃない歯車で。それに、ペタ子なんて気軽に呼ばないで。私はあんたの恋人でもなんでもないんですからね。」
ペタ子が苛立っているのが分かった。1週間前に俺の家で愛し合ったというのに。

仕方なく黒沢は自分のデスクに戻り、仕事を再開した。頭の中はザリガニのことでいっぱいだった。おそらく、長年のライバルである九州の赤木がもうメッセに詰めていて、明日からの「ザリガニ・フェア」の目玉である全日本ザリガニコンテストの説明を受けている筈である。彼は2年連続の優勝を目指している。黒沢が仕事の都合で前年、今年と参加が出来なくなったことを「運も実力のうちさ。」とほくそ笑んでいたことが許せない。

もう仕事どころではなくなった。隣のデスクで黙々とパソコンに向かって入力業務をしていた座久村に「ちょっと用事があるので、20分だけオモテに出てくる。」とぶっきらぼうに言い放つと、エレベーターで1階まで降りて、幕張メッセに向かった。座久村が黒沢の背中に向けて「課長に叱られるぞ!」と叫んだのはまったく気づかなかった。通りを斜めに渡り、会場の敷地に入った。開催前日なので、会場には関係者しか入れない。入り口で警備員が黒沢を制止した。

「ちょっと通してくれないか。僕は黒沢だ。」
黒沢は顔を警備員に突き出した。
「黒沢?知らないな。とにかく中には入れないよ。」
冷たい視線を黒沢に向けながら警備員がぶっきらぼうに言った。
いくら「ザリガニ・フェア」の警備員といっても、ザリガニに縁もユカリも無い会社から派遣されているのだから仕方が無い。
「2年前にこのフェアで3年連続して優勝した黒沢だと言えば分からないかなあ。」
黒沢は困った顔をしてみた。
「黒沢って。待てよ。あのトップ・ザリガニ・ブリーダーの、マッカッチンの黒沢かい?えーっ!あんたが黒沢さんか。実は私、ファンなんですよ。確か、今年は出場しないと言ってたもんだから。」

「どうも、仕事が忙しくて。残念なことにザリガニ関係の仕事に就けなかったけど、実はこの近くに就職してるんですよ。」
黒沢は自分のファンだという警備員に誇らしげに言った。
「へえ。ミスターマッカチンがねえ、この近所にお勤めだなんて、感激だなあ。」
警備員は上気して、みるみる顔が赤らんだ。
「コンテストでは勝ててもザリガニブリーダーとしては認められなかっただけですよ。」
「いやいや、まだ若いからチャンスはいくらでもありますよ。あ、そうそう、お急ぎなんですね。どうぞ、お通りください。それから、すみませんが、」そう言いながら警備員はごそごそとポケットの中をまさぐり、「サイン、頂けますか?本当は色紙にしてもらいたいんだけど。息子が喜びますんで。」と紙切れを差し出した。

こうしちゃいられない。黒沢は人混みをかきわけ、会場の中に入った。会場は明日の開催準備がすっかり整っていて、金銀赤白のイルミネーションやらレーザービームやらの光が交錯していて目が眩むようだった。特設ステージの上では激しいビートに合わせて"ざり吉"と"ざり子"のダンスショーのリハーサルが行われていた。ザリガニ・フェアのキャラクターで、数年前から大ブレイクし、今では着ぐるみをまとった役者までも人気が出ているほどだ。
黒沢は、無数の水槽が並ぶ更に奥に行こうと足を進めると、ふいに声をかけられた。

「黒沢じゃないか。どうしたんだい。俺を応援しにきたのか?」
振り返るとそこには笑みを浮かべた赤木が立っていた。
赤木はトップブリーダーのユニフォームでもある紺色のジャケットに、白いパンツ、そしてザリガニ柄のネクタイといういでたちだった。汗まみれでよれよれの黒沢のワイシャツ姿とは雲泥の差だった。
2年前までは自分が追われる立場だったことを黒沢は懐かしく思い出していた。

赤木は呆然としている黒沢に更に近づき、「今年も君の出場が無いという噂は本当だったんだな。残念なことだ。」と笑みを崩さず言った。
「まあな。おまえのようにザリガニ関連の職業に就いてないからな。仕方ないんだ。」
「そうだったな。ますます残念だな。それより君、IDカード無しでよく入れたな。本当だったら、見逃した警備員は即刻クビなんだがな。せっかく応援に来たんだ、まあゆっくりしてゆけ。」
赤木はそう言うとついてくるような仕種をし、背を向け歩き出した。

「なあ、黒沢、俺なあ、九州でテーマパークを作ることになったよ。プロデュースと経営の一部を任されている。」
先に歩く赤木が振り返り黒沢の目を見た。
「そうか、それはよかったな。ひょっとして"ざり吉ワールド"か?」
「そうだとも!アメリカザリガニの最高権威のマコーミック博士の監修だ。今や、ザリガニ関連のテーマパークでは世界最大規模になる。"ざり吉"の版権使用料はますます高くなっていて大変だったがな。」
「ふうん。おまえは着々とザリガニ界の階段を昇ってゆくのだな。せいぜい頑張ってくれたまえ。」
「皮肉かよ。君もヤキモチ焼きなんだな。」

赤木は水槽が壁のように並んだ所で立ち止まり、くるっと黒沢のほうにターンした。
「いいか、黒沢。ここには明日から始まるザリガニ・フェアに出場する1000匹以上のザリガニがいる。どれも優秀なブリーダーが育てた宝物だ。1匹100万円のものから5000万円のものまでいろいろだ。」
赤木が鋭い目つきで黒沢を睨んだ。
「年々、ザリガニの値段は跳ね上がるんだな。」
赤木の口調に圧倒されたかのように、黒沢のトーンは次第に心もとなくなっていった。
「5000万円のザリガニ。考えられるか。2年ものだ。それはこれだ!」
そう赤木が叫ぶと数人の警備員が金色の縁どりの水槽をゆっくりとワゴンに乗せ運んできた。

水槽は二つ。それぞれ、中に赤く大きなザリガニが1匹ずつ蠢いていいるのが見える。
「こっちがオスの"弁慶号"、そっちのはメスの"キャサリン"だ。弁慶号は昨年優勝し、最終選考の闘いでも無傷だった。キャサリンは生まれて半年、だが、気品に溢れたボディは1年ものの風格がある。どうだ、近寄ってよく見てみろ。これだけのザリガニが君には作れるか。」
勝ち誇ったように赤木は黒沢を叱咤した。
黒沢は言われるがまま弁慶号を間近で見た。
見事なまでのスタイルだった。戦国武将の鎧をまとったような真っ赤な胴体。大きく、研ぎ澄まされたハサミ。筋肉質のしっぽ。どれをとっても一級品だった。一方のキャサリンも気品に溢れていて、色香さえ漂っていた。
黒沢はなぜかペタ子と愛し合ったことを思い浮かべてしまった。

「黒沢、感想を言ってみろ。2匹で1億。弁慶号はこのフェアが終われば、殿堂入りは確実だ。更に値が上がるのは必至だ。
「負けたよ、赤木。例え僕が出場しても完璧に負けてた。」
「ふふふ。そう気落ちするな。機会があったら来年チャレンジしてこい。」
「いや、もう出場はしない。僕はこのフェアとはおさらばだ。」
「諦めるのか。君らしくないな。黒沢さえその気だったら俺のテーマパークに雇ってやってもよかったのになあ。」
「赤木。」
「なんだ。」
「忙しいとは思うけど、僕のザリガニも見てもらえないか。」

黒沢の家は幕張メッセから程近いベイタウンという街だった。中高層から高層、超高層のマンションが整然と並んでいる。その一角のマンションを指差し、黒沢が立ち止まった。
「あそこが僕の家だ。」
「ふうん。独身にしちゃ生意気なところに住んでるんだなあ。水槽なんかはどうしているんだ。」
「まあ見てくれ。それなりの設備は整っている。」
「わかった。拝見しよう。」

黒沢の家は独身には贅沢な90平米の3LDKである。リビングを改造し、サンルームのようにベランダに面したところがいわゆるザリガニの部屋だった。大きめの水槽は3つ。更にザリガニの運動用に大きなタライを改造したジオラマのようなものがあった。厳正された田圃の土に、出来るだけ環境を同じにするような草花を植えていた。空調も季節に応じて変化させているという凝りようだった。黒沢はこの設備を整えるのに、給料のほとんどを費やしている。

「なかなかのもんじゃないか。」
「有難う。さて、僕のリリアンを見てくれ。そろそろ脱皮するので、普段とは様子が異なっているが。」
「そんなこと言われなくとも分かってるさ。俺を誰だと思ってるんだ。お、黒沢、なかなか色艶がいいじゃないか。上出来だよ。」
水槽を覗きこんだ赤木がひときわ大きな声を出した。
「当たり前だ。もっとも、おまえのようにはいかないがな。」
「いやいやどうして。出場すれば優勝まではいかなくとも、そこそこの成績は収められるのになあ。残念なことだ。」
「優勝しようなんて考えてないさ。」

「今日は有難う。いいものを見せてもらった。俺は会場に戻る。」
赤木は黒沢が入れたコーヒーにはまったく手をつけずに立ち上がった。
「とんでもない。僕のリリアンを褒めてくれたし、大スターのおまえにこんなところへ寄ってもらい、恐縮してるさ。」
黒沢はソファから立ち上がらずに言った。
「いいさ。それより君は会社じゃなかったかな。」
にやりと笑い、ドアのノブに赤木が手をかけた。
「ちょっと待った。」
黒沢が叫んだ。
赤木はびっくりしたように息を飲む。

「おい、赤木。まさかリリアンを見て何も気づかないなんて言うなよ。」
黒沢が少し凄みのある低い声を出した。
「なんのことだ。俺は忙しいんだ。」
「いいか。僕のリリアンは純粋なアメリカザリガニだ。」
「わかってるって。」
「わかってるんだな。あれが本物のアメリカザリガニだってことを。」
「ああ。」
赤木はドアのノブに手をかけたまま、じっとしている。
「友人だから言っておく。どんなに素晴らしいザリガニだろうと、遺伝子の組み替えだけはするな。法律で厳しく罰せられることになる。まして、日本で一番人気のあるおまえがそんなことをしていると知ったら世間はどうなるかな。」

赤木はずっと黙っていた。
黒沢もじっとしていた。
かなりの長い時間のようでもあり、一瞬のことだったのかもしれない。
「黒沢。おまえ、弁慶号を見て、そう思ったのか?」
いきなり赤木が口を開いた。
「そうだな。どっちかっていうと、キャサリンのほうだったかな。あの鮮明な赤、そして巨大なハサミ。純粋なアメリカザリガニにはありえない。今の僕は趣味のレベルでしかないけど、手塩に育ててもあんなもんだ。リリアンをもう一度見ろ。」
「わかった。黒沢。君の言うとおりだ。リリアンはもう見ない。俺は、今回のコンテストは棄権するよ。そして君のリリアンを出せ。」

赤木は部屋を出るのを辞めて、再び黒沢と向かい合って座った。
すっかり冷めたコーヒーをすすると、「黒沢。君は最初から俺のザリガニが遺伝子組み替えによって生まれたと睨んでいたんだな。」と、寂しそうに言った。
「そうじゃない。さっきも話した通りだ。キャサリンを見てからだ。あんなに完璧なザリガニはいない。審査員の目は誤魔化せても僕は見逃せなかった。もし仮に、キャサリンが今年のチャンピョンになり、総合点があまりにも高ければ当然殿堂入りし、永遠に保存されるだろう。その時に色々研究されれば、いずれは遺伝子を操作したことがバレてしまうわけだ。赤木の為にこそ、僕は心を鬼にした。」
「有難う。黒沢。俺は君のことを誤解していたよ。」
赤木は大粒の涙を流した。

「さ、赤木、僕のリリアンの食事の時刻だ。」
そう言いながら黒沢は立ち上がると、赤木を促して、一緒にリリアンの水槽の前に歩みよった。
赤木は、はらはらと涙を流し続けている。
強気な彼が初めて黒沢に見せた一面だった。
「普段会社に行ってるだろ。だから、実は食事も不定期なんだよな。ほら、リリアン、お食べ。」
黒沢が餌の煮干を与えると、リリアンはがばーっとそれを奪い取り、そしてむしゃむしゃ食べ始めた。
「美しいっ!」
赤木が叫んだ。
「ん?」
「美しいよ。黒沢。これが本物なんだあ。」
「そうだとも。赤木。」
「そうだよな。黒沢。」
二人は、ずっとリリアンの食いっぷりを、食い入るように見つめていた。

(C) 2004/4/8 Oretachi Jp

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