俺達のコラム
「選挙」はお好きですか
父親が急に選挙に立つことになった・・・


父親がある選挙に「出馬表明」し、その日から「候補予定者の身内」と呼ばれるようになってしまいました。
私はこの場をお借りして皆さんに父をよろしくなどという事は言えません(法律でも禁じられています)。ただこういう政治だとか選挙の分野にいきなり入ってしまった家族の苦悩や混乱を書いてみたかっただけです。前出の「出馬表明」という表現も、告示前なので「立候補」と表現したら違法になるためこう表現するそうです。こんな私の知らなかったコトバや常識が、この世界非常に多いです。

選挙は「戦い」です。
これまで投票する有権者の立場だったら、選挙は日曜日に近所の小学校にいかなくちゃ、くらいのものでした。ところが立場が変わって出る側になると、これは命がけの戦いそのものだったのです。味方を増やし敵を倒す。政治がなんとなく一般ばなれした良く分からないイメージがあるとすれば、勝つことが選挙のすべてであり、そのためには「わたくし何でもいたします」的なミエミエな雰囲気があるのも一因かもしれません。現職は「実績」を、新人は「革新」を訴える。当たり前のことです。ポスター・リーフレット・後援会活動や集会・演説会。歩いた分だけ票につながるとか、家族はただひたすらアタマを下げなさいとか。その下げたアタマをぶたれたり罵声を浴びたり、こんどはお前の態度が気にくわない。では私は今度は何をしたらいいんですか。ケータイの電池は予備三つ持ち、電車の移動でSuicaをすさまじいペースでチャージしています。

また最近の選挙はインターネットの時代です。ウェブサイトを立ち上げ支持者との結束をはかりつつ、メールにも目を通します。励ましのメールもありますが、中には読むに耐えない私の心理的消耗を意図したものも来ます。
選挙の応援活動をしていると、人間関係も変わります。かつての友人・知人は、私が何か怪しい訪問販売でだまそうとしている人物のような視線で私を見て、離れて行きます。逆に応援するからと毎週末手伝ってくれる友人も意外なところから出て、あたたかい心を再認識することもあります。
すべてが初めての私には、これらのひとつひとつが精神的・肉体的にショックでした。なんでこんな生活になってしまったのか。父親をうらんではみるものの、動き出した戦いは私ひとりではもうとめる事はできないのも事実です。

こんな思いまでして当選したいのは、当選てそんなに「おいしい」のかな、と考えたことがありました。父親はいわゆる支持政党がない無所属です。政党選挙では「おいしい」のはきっと政党なのだろうと思います。彼らはそれが目的の団体ですから。無所属だと告示前は駅前にスピーカーの付いたクルマを出せませんから、そこだけ見ても知名度は向上しません(政党は政治活動の一環として候補者をしゃべらせることができます)。

最初から背水の陣、不利な戦いとマスコミにかかれ、それでも父親はなんで続けているのだろう。ある日、本人に聞いてみました。「それは二つしかない」と答えました。ひとつには応援してくれる人たちがいる。ぜひやってほしいと頼みに来た多くの方々の心を裏切れないということ。二つにはこの仕事は大変だから、よくわかっている自分がやるしかない。というゆるぎない信念だと。政党が仕事をするのではない、できる人がしないといけない。それは正論だけどどうやって勝つのさ。そこが問題だと苦笑する父は、戦いに勝つ事は仕事をすることとは別の活動なのに、勝たなければ仕事ができないのも事実で、そのジレンマにはさまれているようにも見えました。

私財を投げ打って、平穏に生活する道を選ばず戦いの選択肢を選んだ父をお人好しの馬鹿者と思いながらも、これが彼を支持する人たちがいう「人柄」なのかと再認識し、自分が彼の歳になった時こんな大それたことする男にはなれないな、などと考えながら、私は今日も「戦闘要因」の一人として会社をサボり(笑)元気に活動します。勝つ事は必要だけど、父の好きなように戦えばいいのさ、と。

繰り返しになりますが、私はこの場で父親を推薦するものではありません。でも皆さんが投票する一票の影に、こんな生き方をしている人がいるという裏話でも聞きながら選挙に行けば、選挙に対してより興味が出るかなと思いました。
皆さんが、賢く候補者を選択し、責任ある一票を投じてくださることは言うまでもなくとても重要なことです。私は戦う側のひとりとして自分が正しいと思うことをひとりでも多くの人に説明し、最後まで戦い続け、悔いのないすがすがしい気持ちで皆さんの審判を仰ぎたいな、そんな気持ちでいます。(おわり)

2005/5/14 匿名(ある選挙の候補予定の息子)



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