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人間電送マシーン Part3

スパゲティーを頭に乗せたことなどまるで意に介さない様子で、黒田は、「それじゃあ小野寺君、又会おう」と言い残して、店を出ていってしまった。ウェイトレスもさすがに同情したのか、「お客様、お待ち下さい。もう一度お作りしますので」と声をかけてくれたのだが、俺はもうこの場所から一刻も早く立ち去りたかった。「いや結構、今日は家に帰って休んだ方が良いみたいですな。はっはっはっ、ははははは」と力なく言うと、「えーっ、もっと食べるんだよー」と文句を言う息子たちをせかして、会計を済ませ、家に戻ったのである。
にんにく臭くなった頭をシャワーで洗い、パソコンに火を入れネットへ接続した。「中年バンド」のページから、2段階のパスワードの関門を抜け、例の狸をクリックした。しかし、「いてえな」「あほかおまえ」などと憎まれ口が出るばかりで、やはりあのURLは出てこない。

帰ってきた女房に俺は恐る恐る、しかしつとめて何でもないそぶりで、「なぁ、黒田部長、最近見かけたか?」と聞いてみた。
「黒田さん?どうだったかしら。この前の自治会集会の時に見かけたわよ。2週間ほど前ね。それが何か?」
「いや、さっきもローズベイハーツで会ったもんだから」
「あらそう。同じベイタウンに住んでいるんだから、たまに会うのは当たり前じゃない」
「そ、それもそうだな。は、は、はぁ」
「あなたどうかしたの、なんだか顔色がおかしいわよ。パソコンで変なゲームやって夜更かししてるからよ。小学生じゃないんだから、自分の健康くらい管理して下さいね」
どうやら女房は黒田の転勤を知らないらしい。しかも自治会集会にまで顔を出しているという事は、この地域の人々も黒田がここに住んでいると思っている事になる。いったいどう言う事だ。
あの妙なホームページといい、黒田の行動といい、訳が分からん。いや、そんな馬鹿な。


それから1週間が過ぎた。定時までそこそこに仕事をこなし、家と会社を往復する単調な毎日。ローズベイハーツに寄ってくる事もない。マンションのローンを早く返さなくてはならないという事情もあるが、もしや黒田に又会うのではという気持ちもあって、落ち着いて飲む気になれないのだ。
日曜日、女房は子供達を連れて、女房の実家へ行った。家に残ったのは俺1人だ。ふと、あの妙なページの事を思い出した。そうだ。先週もちょうどこれくらいの時間に、狸からの吹き出しにURLが映ったのだ。
俺は早速パソコンに火を入れ、あのページへアクセスし、狸の股間をクリックしてみた。「何さらしとんじゃボケ」「ヤメンカこら」等々...又悪態をつくだけか。と諦めかけたそのとき、吹き出しにURLが浮かび上がった。すかさずそのリンクを開くと、何の変哲もないページが現われた。黒い背景に白い文字が並んでいるだけだ。


転送先を選択して下さい

松夫



松夫?誰だそいつは?思い出した。黒田松夫、あの元部長の名前だ。こんな奴に用は無い。瞳?誰だか知らんが奴でない方を選ぼう。俺はその「瞳」の文字に悪魔の尻尾を合わせ(勿論マウスのカーソルの事だ。今は手のマークに変わっている)クリックしてみた。
パスワード入力のボックスが現われる。ちぇ、またか。俺は舌打ちをしながらも、「SNKMGW MKHR」と打ちこんでみる。例の「新検見川ブルース」のサビで繰り返される、新検見川、幕張の部分をローマ字に変えて、母音を取った文字列だ。
「新転送ポイントの設定 OK キャンセル」なんだこれは。分からないがここまで来て引き下がれるか。とりあえずリターンキーを叩いてみる。つまりOKを選択した事になる。「転送ポイント名設定」鯖男と。
「転送を開始します OK キャンセル」転送を開始しますだと?まさか。
えーいままよ。とにかくここまで来たらやってみるしかない。OKだ。


目の前のディスプレイが歪んで見える。俺の指が次第に短く削られていく。そして何も見えなくなった。いや、何かが見える気はするのだが、感覚がバラバラで知覚する事ができない。こんな感覚は生まれて初めてだ。叫び出したいのだが、声を出す事もできない。しばらくすると、歪んだ空間の中に、俺の物とは違うディスプレイが見え始めた。俺の体も、次第に輪郭がはっきりしてくる。どれだけの時間が経ったのだろう。俺は、見なれぬ場所で、パソコンの前に座っていた。しかも素っ裸だ。廻りを見まわすと、パソコンが3台、壁は本で覆われている。どうやら物理学の本のようだ。スーパーストリングス?ワームホール?それよりここは一体どこなんだ。

「松チャン?」と声がしたかと思うと、女が部屋に入ってきた。年のころは俺より少し下か?それにしても飾り気の無い女だ。化粧ッ気が無いのは俺の女房と同じだが、髪はボサボサ、コーヒーの染みの付いたくたびれたパジャマを着て、手には何やら数式と図形の書かれたメモを持っている。生白い肌には張りが無く、痩せて骨が浮き出した腕をしている。瞳というのはこの女の事なのか?定規と5Hの鉛筆で書いたような細い目だ。
「あ、あなた瞳さん?」
「そう。あなたは、えーと、小野寺さんね。松チャン、いえ黒田さんから、いずれ来るかもしれないって聞いてたわ」 裸の男が座っているというのに、驚いた様子も無い。
「お、俺はどうしてここにいるんだ。どうして裸なんだ」
「あなたが自分を転送したからよ」 少しあきれたように目をぴくりと動かし、女は答えた。
「どうして物体を転送できるんだ。」
「物体を転送しているんではなくて、紐の振動を転送しているのよ」 以下、彼女の講釈は延々続くのだが、物理学の知識の無い俺には到底理解できるものではなかった。


分かった範囲で説明すると、つまりこういう事だ。我々の体の単位を分割していくと、細胞、分子、原子、素粒子、と分割されるのだが、もとは紐の振動に過ぎないというのだ。紐の振動の仕方によって、あたかもそこに物質が存在するように、そして物質の種類が違うように観測される。まるで色即是空の世界だ。
そして我々が使っているコンピューター、これも0,1の組合わせで動いている、まぁ振動のようなもので動いているのを、あたかもそこに画像があるかのごとく見せるものなのだ。
パソコンのディスプレイを逆に受像機として使い、近くにある物体が持っている「紐」の振動を電気の0,1に変換し、インターネット経由で別のパソコンのディスプレイ上でその「紐」の振動を再現してやれば、物体の転送ができる。
しかし問題があって、全ての物体を転送すると壁や机やパソコンまで転送する事になる。それでは具合が悪いので、振動の集合の中から、生物のものだけを取り出して転送するのだそうだ。従って裸で転送されると言う訳だ。
狐につままれたような話だが俺が現にここにこうしているのは今の話と矛盾はしない。

「あなたは、その、支店長、いや黒田さんの....」
「松チャンは私の高校の先輩でね。5年ほど前同窓会で知り合った時に、わたしが物理学の研究をしたいのだけど、OLをやっていたのでは時間が取れないし、って話をしたのよ。彼も自分の愚痴を言い始めて、何でもリストラで左遷させられそうなんだけど、ベイタウンにマンションも買っちゃたし、いまさら家族を置いて引越ししたくないって言うのよ。それで研究の内容、つまり今あなたがやった転送もその一部なんだけど。を話したら、彼、乗ってきたのよ。それで契約成立ってわけ。この部屋の家賃を貰って、あと生活費と研究費として少しのお小遣いを貰う事。転送マシーンを完成させ、松チャンが転勤になった時はここを中継地にして通う事。このパソコンを使ってね。 ついにこの9月から、松チャンが転勤になり、それが実現したって訳」
「すると、してん、いや黒田さんは、まだベイタウンに...」
「毎朝ここから鹿児島の社宅に転送して、夜になるとここからベイタウンまで帰るのよ。この事を知っているのは、松チャンと私だけ、そして今小野寺さんも知った事になるけど」


ここでやっと全てが繋がった。黒田が開設したページとはこれの事だったのだ。黒田がベイタウン自治会集会に出席しているのもこれなら納得できる。
そしてあのローズベイハーツでのあの態度も。
「それで瞳さんは、ここで物理学の研究をしているわけか。しかし、実験道具も望遠鏡もここには見当たらないが」
「理論物理学は、鉛筆と紙の学問と呼ばれていてね。理論を考えるだけなら、あまり必要なものは無いのよ。人の研究を勉強する為に、本を買ったり、インターネットで情報を探したりはするけど。お金が掛かるのは、その仮説を実証しようとした時ね。遠い銀河の中の、降着円盤から発せられる電波を観測したり、高速で素粒子を取り出して運動を観測したり、それには途方もないお金が必要だけど。さしあたってわたしに必要なのはこうして研究に没頭できる時間。わたし生活の為に一時OLをやっていたのだけれど、みんなは音楽やら、洋服、旅行、男、食事のことなんかに夢中になっていて、わたしにはつまらなかったわ。わたしにはそんな事より、この世界を動かしている法則を見つけ出す方がずっとずっと大切なことに思えるの。」 一瞬、彼女の顔に恍惚の表情が浮かんだ。
「松チャンのおかげでこの部屋でそれに没頭できるのよ。あとは48時間に一度くらいは、ネットで宅配ピザでもとって、24時間に3時間位は睡眠をとって」
なるほど、それでそんな飾り気のない姿をしているのだな。と妙に納得してしまう。

それにしても、この女の部屋で、素っ裸のままでいつまでもこうしている訳にも行かない。俺の部屋には、さっき着ていた服が落ちているに違いないし、女房子供が帰ってくる前に、部屋に戻らなくては。
「あ、あの俺、せっかくだけど戻らなくちゃ」
「ええ、わたしも研究に戻るわ」
パソコンであのページを出すと、


転送先を選択して下さい

松夫

鯖男



と白文字が映っている。さっきの操作で、俺の家のパソコンも転送先に加えられたらしい。厄介な事になったが、もしそうしていなければ黒田の所に行くしかない。迷わず「鯖男」を選択し、クリックした。


視界が歪みはじめ、さっきと同じようにカオスの中を通過するのだが、2度目ともなると少しは冷静になっている自分に気付く。気が付くと俺は自分の部屋に居た。服は脱ぎ捨てられたように下に落ちている。この姿を女房に見られたらまた小学生扱いだ。服を着て、パソコンの電源を落とそうとした。 その時、

「おいおい、まだ落とさんでくれたまえ」 どこかで聞いた声だ。あの古いエクセルで作った下らん資料をネタに俺を無能呼ばわりしたあの声だ。振り向くと、黒田が立っている。しかもユニクロのフリースの上下の下には、俺のお気に入りのネット通販で買ったUS NAVYのTシャツを身につけている。俺のTシャツが、黒田の出腹に引っ張られて歪んでいる。俺の顔も歪んだに違いない。
「いやいや、裸でいるのも何だから、ちょっと拝借したよ」 図々しい奴だ。人の部屋へ勝手に上がりこみ、服まで借用するとは。
「これは黒田支店長、異な所でお会いしますなぁ」
「私も、ここで君に会う事になるとは」
はっはっはっは。は、は、はとお互いに相手の目を覗きこむようにして、笑いあうのであった。腹の底では、お互いの思いが交錯していた。
『黒田め。それは限定品でもう手に入らん貴重なシャツなんだぞ。脂肪で伸ばして着られなくしやがって。俺は遂にお前の秘密をつかんだ。いつまでも好きにさせてたまるものか』
『小野寺よ。遂にパスワードをくぐり抜けて転送する方法を手に入れたようだな。瞳にも会って来たようだな。だがお前はまだ気付いていない。転送マシーンの本当の力を』

「小野寺君、遂に転送できるようになったようだな」
「はい、おかげさまで」
「変な気を起こさん事だな。あのページはいつでも削除できるのだし、人に話しても頭がおかしくなったと思われるのが落ちだ」
「さぁ、それはどうでしょうか。それに私の無能なことは社内でも町内でも有名ですから、いまさらおかしく思われても、別にどうってことはないと思いますが」
「私は君が自分の力でパスワードを解き、転送を成功させるのを待っていたのだよ。これで我々は仲間だ。」
白々しくも握手まで求めてきた。まぁいい。今日の所はそういう事にしておいてやろう。俺も奴の脂肪でぶよぶよした手を握り返した。
奴は「それじゃ小野寺君、またな。これでちょくちょく君に会えるようになっ たし。はっはっは」と言うと、 さっきの画面


転送先を選択して下さい

松夫

鯖男


を出し、
松夫

をクリックした。鹿児島の社宅へ転送するのだ。

その瞬間、彼の姿が歪んでいく。指、髪が削られていくように見え、次第にボールのように変化し、そして何もない空間だけとなった。あとには、伸びたUS NAVYのTシャツと、ユニクロのフリース、それに俺のトランクスが落ちていた。


俺は、パソコンの電源を落とし、TAにつながる電話線のケーブルをひきちぎった。取りあえずインターネットに接続しなければここへ転送する事はできない筈だ。
Tシャツをゴミ袋に放りこみ、フリースは洗濯機に入れた。そして、ゲルベをくわえ、ジッポーで火をつける。ジッポーの鼻をつく臭いが、一瞬遠い昔の光景を思い出させる。

九十九里浜にいた、まだガキの頃見たものだ。地引網で上がったイカやイワシ、川で釣ったカイズ、夏祭りで見た花火、祭りのあとはお決まりのように誰かの離れに女の子を連れ込んで酒を飲ませ・・・。金はなかった。自由に金を使えるサラリーマンが無性にうらやましかった。そして今俺はその憧れのサラリーマンになり、マンションも手に入れた。あの頃よりもいいものも食っているつもりだ。だがあの地引網で上がったのと同じように輝いている魚は、もうここには無い。近所の畑からスイカをかっぱらってくる楽しみももう忘れてしまった。

それきりもはやネットへ接続するのは止めてしまった。そして年が明けた。あいも変わらず正月のテレビと言えば、下らない隠し芸だの、さもなくば今年の展望だの、金を貰っても見たくないようなものばかりだ。
しかし特に今年はネット無しの正月で、ついつい見てしまうのだ。
そしてまた定時までそこそこに仕事をこなす毎日だ。給料分働いて、家へ帰る。あの転送マシーンの事も、次第に頭から離れていった。


そんな時だった。
課長が席を外している時、もっぱらゴルフ談義を交わしている連中が話しているのがたまたま耳に入ってしまった。
「おい、あの人間戦車の大杉が行方不明だってな」
「なんでも奥さんが最後に見た時は、パソコンに向かっていたのに、食事ができたので声をかけようとしたら、消えていたらしいぜ」
「奥さんが何か手がかりがあるんじゃないかとパソコンを覗いたら、ハードディスクがフォーマットされていて何も残っていなかったんだってな」
「あの人間戦車も何か人に言えない悩み事でもあったんじゃないか」
九州支社長の大杉が、行方不明になったというのだ。
俺も1度だけ会議の席で見かけたが、脂ぎった顔であくが強く、自信にあふれた人物だった。何があっても自分から逃げ出すような玉ではない。ラグビーでならしたとかで、胸板は厚く、がっしりした肩をして、何となく憎めないタイプで、あの顔とあの体で迫られると、ついついYESと答えざるを得ない、そんな雰囲気を持った男だった。それで人間戦車と呼ばれている。そのネゴの力で支社長にまでなった男だ。


昼風景画:オフィスビル休み、暇潰しにYAHOOのニュースをチェックしていると、新種のウイルスの事が載っていた。受信して開くと、メール自体にスクリプトが組み込んであり、MSのアウトルックの場合、アドレス帳に記録された全てのアドレスに自分のコピーを配信した後、ハードディスクをフォーマットするという厄介な物だ。
もしや。あの転送マシーンの記憶が蘇ってきた。そうか、メールという手がある。あの転送プログラムはWEB上に置かれていたのだ。あれを少し変えてメールの中に埋め込み、さらにハードディスクをフォーマットするように仕込んでおけば、受信した人間を消し、後には何も残さないようにできるかもしれない。しかし黒田に直接訊ねて奴がぺらぺら喋るはずはない。取りあえず会社のパソコンのメーラーの設定をチェックし、HTML表示はしないようにし、添付ファイルも勝手に開かないようにした。まだ大杉支社長を消したのが黒田の仕業と決まったわけではないが、奴の秘密を知っている俺にも殺人メールを送ってこないとも限らない。自宅は回線をちぎってしまったので安全だが、会社では仕事上メールを使わないわけには行かない。
>>>>>つづく
[Part3寄稿:真砂・みなみ]
2001.7.3
人間電送マシーン・・・、この物語のつづきは貴方にお任せいたします。

◇リレー小説・人間電送マシーンPart3◇
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