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人間電送マシーン Part4

埼玉県朝霞市。
都内からそれほど遠くない住宅地の中にホソダ自動車工業の研究所があった。
この中には激しい開発競争に明け暮れる日本でトップクラスの研究員がいる。
広い敷地はこの手の業界にありがちな高い塀で覆われ、いかにも機密漏洩は絶対に許さんぞという姿勢を見ることが出来る。
しかし意外に、中は大きな欅が無骨な塀を隠し、きちんと刈り込まれた芝生には今を盛りのチューリップが咲き乱れる公園のような雰囲気だ。
岩清水の勤務する研究室は特等席だ。
春の柔らかい日差しが芝生の中に瓢箪状にレイアウトされた池にきらきら反射しているのが見える。彼は窓越しに暫くそんな景色を眺めていたが、急に振り返った。

ホソダ製二足歩行ロボットイメージ「しかしなあ、小野寺。久しぶりに会って冗談が過ぎるぞ。昔から僕のことを騙してきたからな。いきなり信じろというのは無理な話だ。中学時代に担任の権田先生のことを覚えてるだろう。理科の実験中に先生の細胞に蛙の細胞が混じって化学変化を起こし、徐々に蛙に変身しつつあるとお前は言ってたなあ。僕は信じて、ずっと権田先生を観察してきた。卒業するまで、2年間だぞ。しかも、変化する過程をうまく理論付ける為の研究もしてきた。よくもまあ、あんなとぼけた嘘がつけたもんだ。今のお前の言ってることはそれ以上にキツいぞ。」細面の岩清水が顔いっぱいに血管を浮かびあがらせて、鯖男を睨んだ。
どうやら本気で怒っているらしい。
「ちょっと待ってくれよ。昔の話はするなよ。俺も反省してるし、だいいちお前のような頭のいい人間が簡単に騙されるなんて思ってもみなかったんだよ。」鯖男はソファに座ったままで彼に哀願をするような眼差しをした。
「まあ、過去のことは許そう。お陰で大概の生物学や物理学の文献を読み漁り、東大に合格出来たと考えれば君の嘘が功を奏したとも言える。だがなあ、パソコンの画面に人間が吸い込まれて・・・。けっ。ばかばかしい。なあ、小野寺。僕はこう見えても忙しいんだ。ホ
ソダが社運を賭けている夢のエンジンの設計のリーダーなんだよ。このプロジェクトは細田社長も命を賭けている。こうして君と話をしているのも時間が勿体無いくらいだ。」岩清水は痩せこけたカマキリのような容姿を小刻みに動かしながら困惑の色を強めた。


そういえば、中学時代にもあだ名はカマキリだった。痩せていて手足が長く、首を異常に速く動かす動作がカマキリそのものだった。
それに加えて、顔の作りが逆三角形で、目が大きいところなどが決め手だったのだろう。
彼は勉強が多少出来たのを鼻にかけていたので、同級生に嫌われていた。
鯖男は自分の周りを苛々しながら歩く岩清水を見ながら昔の記憶が甦ってきた。
「頼むよ。旧友のよしみってもんじゃないか。俺にはお前しか頼る先が無いんだ。俺はこの世から消されるかもしれないんだぜ。」
「ふん。誰が騙されるもんか。画面から人間が出てくるなんて。ばかばかしい。まったく何を考えているのか。ああ、そうか、分かった。なるほど、お前、お前は映画の観過ぎなんだ。確かにあったな。テレビから化け物が出てくる映画。なんていったっけ。」
「貞子。」
「ああ、それ、それ。実にくだらない。」
「なんだ、お前もずいぶん俗っぽいもの観てるんだな。」
「うるさい。貴様に言われたくない。つまりだ。そんなもん、空想の世界のことだ。あの映画観ながら思ったよ。貞子がテレビから這い出てきた時に電源コードを抜いてしまえばいいんだ。そう思わないかい?貞子の奴、出るに出られず、戻るに戻れず、そりゃ苦労するだろうな。ははは。あ、思い出した。確か大学の時だったか、急にお前が現れて、宇宙人と思われる生物が人間のふりをして秋田県の角館に住んでいる云々とか言ってたな。当時宇宙に興味を持って勉強していた僕には素晴らしい情報だった。」岩清水はぼさぼさに伸びた髪の毛をかきむしった。

「ああ、あの話か。済んだことじゃないか。お陰で勉強になっただろうし、まんざらじゃなかったくせに。」
「おい、小野寺。その言い方はないぞ。そのために僕は東北に単身乗り込み、居を構えてその一家を観察していたんだ。確かご主人は角館で伝統工芸の樺細工をされていた人だったな。僕は半年もの間彼に接近し、いつボロを出すかと寝食も忘れ観察していたんだ。あの半年の散財とエネルギーを返してもらいたい。その上、変人扱いもされた。」
「いいじゃないか。宇宙のロマンだろ。あれは嘘じゃない。俺は本当に円盤から降りてきたところを見た。い、いや、幻だったかもしれん。でも、今度だけは本当だ。事実、俺が転送されたんだ。」
「まだ言ってやがる。もういい加減にしろ。業務妨害で訴えるぞ。早く帰れ。」
岩清水の怒りは最高潮に達していた。
「本当だ。本当だからこうして埼玉くんだりまで来ている。」
「うるさい。仕事の邪魔だ。」
「友人を見捨てるのか。」
「お前なんか友人とは思っていない。」

鯖男はこういうこともあろうかと、とっておきの資料を用意していたのを思い出した。持っていた鞄を開け、ごそごそと中を捜す。
「帰れと言っているのが分からんのか。」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。これだ。」鯖男がなにかのコピーのような紙片を岩清水に差し出した。
「なになに。大1枚、小2枚で極楽気分。ミカ嬢はとっても恥ずかしがりで・・・。なんだこれは。ふざけるな。」手にした紙片を読み上げた岩清水はカマキリがまさに獲物に食らいつくような恐ろしい表情をした。
「あ、それは。」鯖男は慌てて紙片を奪い取ると、「しまった。ごめん。それは週間誌のコピーだった。実際のは、えーと。」そう言って再び鞄の中を捜し始めた。
「もういい。相変わらず下品な奴だ。顔も見たくない。」
「あった。あった。これだ。この新聞のコピーを見てみろ。」高々と紙切れを見せながら、「愛知県に住むH氏がパソコンルームから忽然と姿を消し現在も失踪中。どうだ。まいったか。」と読み上げ、岩清水にそれを渡した。

岩清水は呆然と立ったまま、それを読んだ。興味が沸いてきたらしい。
「ふーん。こんなのよくある話だ。それにこれ地方紙だろ。失踪直前にパソコンやっててただけだ。この記事にはパソコンに吸い込まれたなんてこれぽっちも書いてないぞ。」
「たまたまか。それなら、こっちのはどうだ。」再び鯖男が別の紙を渡す。
「山口県のコンビニ店員がインターネットカフェに入ったきり消息不明・・・。くだらん。料金を払えなくなって裏口から逃げたんだろうって。」岩清水は持っていた紙切れをくしゃくしゃとまるめた。
「そうかな。最近、妙な失踪事件が多いと思わないか。例えば、いきなりアメリカ国防省のコンピュータールームから裸の男が出てきて、拉致された事件とか。」
「ああ、確か日本のコンピュータ業界のSEだったかな。気が狂ってると適当に処分された奴だろ?」
「そうだ。しかもその男、1時間前に東京で目撃されている。」
「嘘だ。周囲が嘘をついている。」
「嘘じゃない。俺は自分も体験したんで、その男と会ってみようと思ったんだ。」
「で、会えたのかい?」
「いや。」鯖男はもう少しで岩清水が乗ってくると確信していた。
岩清水は、急に黙り、再び窓のところまで行って頭をかきむしった。何かを真剣に考えているようだった。


「無理だ。」暫く間を置いて、「パソコンで何かを処理する場合、インターフェイスが必要だ。」岩清水は鯖男を睨んだ。
「インターフェイスというのは?」
「そうだなあ。例えば、パソコンに何かを指令する場合、キーボードが必要だ。同様に、アナログのデータ、そうだな、例えば声をインプットする場合、マイクという入力する道具が必要になる。」
「言いたいことが分からない。」
「音声は最初から電気信号ではない。それは分かるな。空気の振動なんだよ。それを電気信号に変えてやらないとパソコンは認識しない。」
「なんとなく分かるさ。つまり、パソコンの画面は入力機じゃないってことだな。」
「その通り。少しは頭も良くなったようだな。人間が画面に吸い込まれる。絶対に有り得ない。画面、あれは出力だ。元来モニターは画像のデータを出力する装置さのだ。」
「でも。」
「デモも、機動隊のない。人間を電送するんだったら、その人間をデータ化しなくてはならんだろが。画像を取り込むにしてもだ、スキャナーが必要なんだよ。待てよ。ん?そうか。」岩清水は自分の頭を思いきり叩いた。
「どうかしたか。」
「くっくっく。分かった。そのプログラムはCRT画面を入力装置に変えていたんだ。さすがだ。さすが、僕は天才だ。がははははは。
おい、小野寺。君の連絡先をくれ。」

岩清水は完全に悦に入っていた。
何か閃いた時に見せる独特の仕種をした。
それは、カマキリが両手で相手を威嚇する時の犬かきにも似た動きでもあった。
「カーマ、カマカマカマ」鯖男は岩清水の仕種に合わせて心の中で叫んだ。
こうやって岩清水をからかったもんだ。
そして思わず笑ってしまった。しかし笑っている場合ではない。岩清水が何か閃いたのは確かだ。ひょっとしてこの恐ろしい現実から脱却するヒントくらい出そうだ。
「俺の名刺だ。ここに連絡してくれ。」鯖男はポケットから慌てて名刺を取り出し、岩清水に渡した。
「ん?」名刺をしげしげと眺めていた岩清水は「君も落ちたもんだ。なにもオカマになることはなかったのに。」と言い、落胆した表情を見せた。
鯖男が不思議に思い、自分の渡した名刺を奪い取ると、そこには「アユミ、ピンクキャバレー・夜のミスター蝶」と書かれていた。
「ばっ、ばかなっ。これは俺の行き付けの店の名刺だ。失礼な。間違えたんだ。これこれ。」鯖男は顔から火が出るほど恥ずかしかった。

「ほう。小野寺。君は良いところに住んでいるんだな。幕張かあ。僕も幕張にはよく行く。国際会議場があるだろ。メッセの展示場に隣接したやつ。」
「ああ、海も近いし、マリンスタジアムもある。ロッテ戦のチケットだったら新聞屋がたまに持ってくるよ。今度来た時、家にでも寄ってくれ。」
「分かった。自動車工業会のイベントで僕の研究発表会があるから、その時に寄ろう。」
「偉いんだな。俺とは大違いだ。俺などリストラの嵐が吹きまくった会社に首の皮一枚で残っているだけだもんな。」鯖男は恨めしく思った。同じ中学を出て、かたや少しくらい頭の出来が良かったくらいで、どうしてこんなに出世しているのだろう。一方の俺と言ったら・・・。
涙が出てきた。
「そうだ、来月あたり幕張に行く用事がある。その時までに解明してみせる。人間を電送するマシンか。まあ、僕にかかれば容易なトリックだ。楽しみにしてるんだな。また連絡するよ。」岩清水が初めて笑顔を見せた。
「ああ。よろしく頼む。それまでに俺が消滅しないことも祈っておいてくれ。」鯖男はゆっくりと立ち上がった。ドアのところでくるりと振り返る。岩清水はきょとんとしていた。
「岩清水。いろいろ有難う。だが、ひとつ忠告しておく。オカマなんて侮蔑した言い方はやめろ。」ドアを勢いよく開け、鯖男は廊下に出ようとした。
「小野寺。君ってやつは。じゃあ、僕からも忠告してやろう。」岩清水はにやりと笑って、「おい、ポケットに隠した灰皿、どうする気だ。いや、別に持っていっても構わんけど、一言くらい断ってもいいじゃないのか。」
「すまん。いつもの癖が出た。喫茶店の灰皿を集めるのが趣味なもんで。」鯖男は頭をかいた。


photo-炎天下のベイタウンあれから1ケ月が過ぎた。季節は夏に向かっていた。海に面したベイタウン特有の湿った潮風が吹くようになる。
依然、岩清水からは電話は無かった。新聞の経済欄にはホソダのニューエンジンを大々的に告知するような記事が出始めた。画期的なエンジンなので、連日テレビでも放送された。
岩清水の奴め、とうとう完成させやがったな。なになに、バイオの力で・・・。
鯖男は記事を食い入るように読んだ。大きな写真もある。中央に社長の細田宗一の万歳をしている姿。そして周囲が拍手しているような構図になっていた。
社長のすぐ脇にいるのは岩清水だ。両手を顔の前に突き出し、手首をやや下に向ける面白いポーズだ。知らない人が見れば、幽霊が出てくる時のお馴染みのスタイルのようだ。
だがこれはカマキリなのだ。

「あほだな。なにがバイオだ。くだらない。日本の英知を尽くしてそれだけのことか。そんなことより、人間を電話線で電送するような研究でもしてみろって。」鯖男は吐き捨てるように言い放つと、新聞をぽんと食卓に置いた。
「とにかく、岩清水っ!エンジンの研究なんかしてないで、早いところ俺を助ける研究に没頭してくれえ!」
「なんですって?」
奥の部屋から風呂上がりの髪の毛をドライヤーで乾かす音とともに妻の声がした。
「なんでもないよお!」鯖男は叫んだ。
まったく女房の奴ときたら聞こえなくていいものが聞こえてやがる。
鯖男はうんざりしながら、冷蔵庫から缶ビールを取り出し、立ったまま飲み干す。
ふうっ。うまいっ!
この季節になるとビールが一段と美味くなる。
「あなたっ!もう寝ますよ、あなたも早く寝てね。」再び妻の声。
最近、夫の存在なんてどうでもよくなったのか、自分の用事が済むと、さっさと寝てしまう。
しかし、今日は好都合だ。
鯖男の好きなアイドルの松陰スペ子が司会をするバラエティ番組「イケイケ60分」の放送日なのだ。幸いなことに、こどもが寝てしまう深夜11時からの放送だ。

この番組、タイトルがエグいが、いたって真面目な番組なのだ。
司会のスペ子が毎回いろいろな企業を取材し、この会社のことを面白おかしく紹介するのである。
どうやら今夜は話題のホソダ自動車を取り上げていた。
癪に触ったが、スペ子の魅力に負けて、つい観てしまった。
「はーい!スペ子よん。きゃぁ、今夜はスタジオに素晴らしいゲストをお迎えしました。」
スペ子はトレードマークの股下5cmくらいのミニスカートを履いていた。
絶対に頭の悪い女だ。
そうに決まっている。
しかし、それがまた魅力でもある。
折れそうなくらい細い肢体に大きすぎる胸の重量感がたまらない。
「スペ子ってねえ、自動車がどうやって動くのか分からないのお。でもねえ、今夜のゲストの細田自動車の社長さんが教えてくれるのよ。うふっ。」スペ子は体をくねくねさせながら、「どうぞ。」と、ホソダ自動車社長の入場を促した。
細田社長はすっかり髪の毛の無くなった頭を自分で撫でながら入場した。
小柄で縦と横の比率が2対1くらいのまるで漫画に出てくるような体躯だった。
窮屈そうなダブルのスーツを着ている。
その後ろに続いて出てきたのが緊張した面持ちの岩清水だった。
「はーい。こっち、こっち。」愛くるしくスペ子が対談用の応接セットを指してぴょんぴょん跳ねた。
「いいぞ!スペ子っ!」鯖男は思わず叫んでいた。
「なによぉ。うるさいわねえ。早く寝てください。」寝室から妻が怒鳴った。
「わりい、わりい。」ふん、そっちこそ早く寝ろってんだ。鯖男はぶつぶつ言い、テレビの音量を少しだけ下げた。
画面は向かって右手にスペ子が一人掛けのソファにちょんと座り、細田、岩清水が正面の位置のソファに二人で窮屈そうに座るという映像を捕らえていた。
スペ子が横位置なのはインタビュアに徹する為なのか、短いスカートを履いている為なのかは分からない。スペ子を正面から捕らえるもう1台のカメラは上半身しか映さなかった。
「卑怯だ。事実報道をしろ!」声を押し殺し、鯖男は叫んだ。
「ねえ、ねえ、社長。新型エンジンって、なにがどういうことで新型エンジンなんですか。えへ、えへっ。きゃっ、きゃ。」

出た。スペ子の意表を突く的確な質問が。そして、例の’えへえへスマイル’。
「はい。私どもが開発したエンジンはバイオの力で動くわけでして、例えて言うなれば、お嬢ちゃん、小さな虫がエンジンの中にいっぱい詰まっていて、ほれ、そいつらがエネルギーを出すって寸法で。がはははは。ええ、気持ち悪いでしょう?え?虫と言ったって目に見えないから大丈夫。がはは。ほら、岩清水君、フォローを頼む。」細田は画面いっぱいに丸く首の無い顔を紅潮させていた。
元来の汗かきなのかもしれない。しきりにハンカチで顔を吹く。
「それでは私がお答え致します。ホソダの新エンジンは、ただいま社長が申し上げたとおり、微生物が食物、つまり餌を食べる時に発するエネルギーを動力原にしております。餌となるものは主にアルコール、米、胡麻、にんにく、カレーパウダーなどをブレンドしたものにある特定の物質を加えます。これで高出力を絞り出すわけでして、まったくもって安全かつ高燃費を実現したものです。」

岩清水が小刻みに体を揺すりながら解説し出した。
「まあ、凄いわ。その虫さん、偉いんですね。きゃっ、きゃ。」
「はい、確かに凄いです。排気ガスもでませんので、まさにエコロジーなのです。」岩清水はにこりともせずにカメラ目線で喋る。
「わー、ますます凄い。ね、社長!」スペ子は身を踊らせながら細田に「えらい、えらい」というような仕種をした。
「はい。凄いってもんじゃありません。餌となる成分はどこからでも入手出来ますし、お安いんですよ。スペ子ちゃんでも買えますよ。
なあ、岩清水君。がはははは。」
「社長ったら、かわいい。」スペ子は両方の手のひらを合わせ、それを素早く左右に降った。
ウルトラマンじゃあるまいし、ま、アイドルも大変だな。
鯖男は、松陰スペ子だからこそこの馬鹿っぽい仕種が可愛いのであって、他のタレントには真似して欲しくないと思った。
「えー、微生物のエネルギーの素でちょっと頭をひねった部分があります。それはにんにくです。えーっ、と思われるでしょう?そうです。にんにくは臭いがありますから、無臭にんにくを採用しました。」岩清水が極めて真顔で話を続ける。
「それに、ここは重要なポイントですが、非常用におにぎりでも大丈夫なんですよ。」
「えええ?おにぎりですかあ?」スペ子は目を丸くした。
「はい。おにぎりの成分はまさに新エンジンの微生物の大好物なんです。特に、鮭のおにぎりが実験の結果、一番良い数字を出してます。」
「梅干しのおにぎりだと?」
「ちょっと嫌いのようです。」


その時だった。
急に電話が鳴り始めた。なにか、嫌な予感がする。
こんな時刻に電話が鳴ることは今まで無かった。
鯖男は女房を起こして電話をとってもらおうかと思った。
しかし、意気地無しと言われるのも癪なので、恐る恐る受話器を手にした。
テレビはちょうどよいところで、’スペ子のときめきトーク’のコーナーが始まったようだ。
イメージ:ディスプレイに浮かぶ”松男”の文字の幻想「もしもし、小野寺君?もしもし。もしもし。聞こえるかね。」
どうも聞き覚えのある声だ。
「もしもし、黒田だよ、黒田。」
それはまさしく黒田部長、いや黒田支店長の声だ。
インターネットに接続しなくなってからすっかりご無沙汰だ。いや、ご無沙汰というのではない。避けていたのだ。

「は、はい。小野寺です。」鯖男はおそるおそる声を発してみた。
とうとう黒田と話す羽目になったことに軽い衝撃を受けていた。
「ははは。元気かね。あ、それより、こんな夜分に電話してすまんね。悪かった。」
「いいえ、大丈夫です。で、どうしたんですか、部長。い、いや、黒田支店長。」
「いや、たいしたことではないのだがね。今、テレビを観ていてね。なかなか面白いエンジンの話題が出ていたのだよ。」
「え、エンジンって。」鯖男は喉がつかえて、それ以上言葉にならなかった。
「凄いねえ。文明もここまで進歩するとは思わなかったよ。生体エンジンと言ったかな。生物のエネルギーを利用するらしい。ホソダはやったよ。世界一の企業になるだろうね。」黒田は電話の向こうで上機嫌の様子だった。
「あのお、で、支店長。何をおっしゃりたいのでしょう。」
「何を?ふふふ。ははは。あっはっはっは。君も顔が悪い。」
「え?顔ですか。そりゃ、あんまり自慢できる顔じゃないけど、そこまではっきり言われると。」
「いやぁ、すまない。顔が悪いんじゃなくて、人が悪いだった。そう、人が悪い。」
「どういうことですか?」
「こんな素晴らしい番組を教えてくれないなんて。」
鯖男は黙ってしまった。何か嫌なことが起きる前兆を感じたのだ。
人の反応を楽しむように、黒田の押し殺したひゅうひゅうとした笑いが受話器の向こうで続いている。

「憎いねサバちゃん。えっ!どうして教えてくれないの。松陰スペ子。あのタレントも面白いねえ。リンゴの大きなイヤリングが似合っていたじゃないか。私はいっぺんでファンになってしまったよ。君の世代だったらなおさらだろう。ああいうタイプはちょうど君くらいの年齢にぐっとくるんじゃないのかね。まあ、私の世代ではちょっと若すぎるがね。はははは。」
鯖男は段々血の気がひいてゆくのが分かった。
気が遠くなりそうになる。
電話を持つ手も怪しくなってきた。
「何故黙っとる。あんないい番組を教えてくれなかったことを責めているんじゃないぞ。おそらく君だって熱中して観てたから、私のことなどこれっぽっちも考えなかったろう。けけけけ。そんなことはどうでもいいんだ。問題は。」
「問題は?」
「岩清水だったかなあ。実に優秀そうな科学者だ。いい青年だね。ひょっとして君ら友達かい?」黒田が再びおかしくて仕方ないというような声にならない声で笑い、なおも、「最近ねえ、例のホームページに君以外にアクセスする奴がいるようだ。ふふふふ。はははは。
あーはっはっは。あー、疲れた。馬鹿だね。そいつは。私のところではアクセスしてきた人間の所在地等がすぐ解るようになっている。
はははは。ひひひひひ。で、ね、その間抜けな奴はホソダ自動車の朝霞からというのが解った。アクセスしたパソコンだって特定できたんだ。かっかっか。奴は案外知らないのか。パソコンの技術を。生物や化学のことを知っていても、赤ん坊のようなもんだ。これからの社会にゃ通用しないぞ。な、小野寺君。そうだろ。」
もう完全にこちらの手のうちを読まれたようだ。

鯖男は受話器を耳にあてたまま呆然としていた。
「まさか、君。私のことを彼と共謀してなにかしでかそうとしているのと違うかね。い、いや、疑ってるわけではないんだよ。君のような賢明な男がそんな間違いを起こすわけがない。だろう?どうなんだ。え、どうなんだっ!」急に黒田の声が大きくなった。
鯖男は黙っているしかなかった。
「そうだ。いいことを教えてやろう。岩清水君とか言ったな。彼、いい科学者なのになあ。もったいない。」
「あわわわわわ。ししししししっし、支店長っ!」鯖男は思わず叫んだ。
「なんだね。」
「なにをしようと言うのですか?岩清水の身になにか。」
「ははは。察しがいい。その通りだよ。消えてもらう。」
「えーーーーーーーーーーっ!」
「わっ!びっくりしたな、もうっ。驚くことはない。データ化するだけだ。まあ、明日会おう。」
「ちょっと、ちょっと、待ってください。明日なんて。だいいち支店長は鹿児島では。」
「かかかかか。なにを言っとるんだね、君は。私はベイタウンにいるのだよ。確かに30分前には鹿児島にいたんだけどね。はっはっはっは。」
鯖男は小便を漏らしていた。
宵の口のベイタウン35歳を過ぎて小便を漏らすなんて、妻に見られたらどう説明すれば良いのだろう。
いや、その前に小便どころの騒ぎではない恐ろしいことが起きそうな気がした。
どんな恐ろしいことが待ち受けているのか分からない。
いや、この筆者ですら全く予測がつかない。
どうです?
読者の皆さん。次は諸君の番です。
どうぞ、リレーのバトンを受け取ってください。


鯖男は電話が切れた後も暫く放心状態だった。
明日になるのが恐ろしかった。
つけっぱなしのテレビには松陰スペ子が「次週も見てね!」と愛くるしい笑顔を振りまいていた。
◆ * ◇ * ◆ * ◇ * ◆ * ◇ * ◆ * ◇ * ◆

第4部 終わり
Part4寄稿:柴崎@17
2001/07/03


◇リレー小説・人間電送マシーンPart4◇
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―人間電送マシーンは、毎回の続きを読者からの寄稿で構成するリレー小説です。―
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