俺達HPのメンバーが綴るコラムのコーナーです。
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■第3話 「吉野家賛歌」
リレーコラム (言いたい放題BBS「牛丼論争」から採取)

投稿者:さいとう、ばじお、露壇庵、ぶよんちょ


新橋の牛丼研究 投稿者:さいとう  投稿日: 9月27日(水)18時41分16秒

先日、常日頃からきになっていた神戸ランプ亭に入ってきました。
毎晩家で食べますので、このときも、牛丼小で300円。
なかなかのお味です。
ここでとても気になりました。
今までは、吉野家が一番に決まっているという固定観念が
頭の中を支配していたため、どうも、ランプ亭の美味しさが
気になってならなかったのです。

2日後、ついに来るべき瞬間がきました。
これも帰宅途中に吉野家へ。こちらは、小など無く、普通
盛り400円。

あれほど、「よしのや as No.1」と思っていたのですが、
ランプ亭のふくよかな牛肉の甘みもなく、そっけないお味。

いえ、本当はランプ亭の方が、化学調味料が多いのかもしれないし、
化学調味料対vs化学調味料のハイテク戦争によって、庶民(この私)
の味覚が左右されているかもしれないけれど。

ちょっと、これは明らかに、ランプ亭、「一本」です。
これ以外にも、いろいろな牛丼屋はありますが、ランプ亭の実力、
並々ならぬものがあります。

お近くのランプ亭は、ひょっとして、千葉そごうの反対側で、
電車のガードのたもとにあります。

おためしあれ


 以上の報告で気になったことは、かつては、吉野家が牛丼屋のパイオニアで
ありましたが、その後の吉野家帝国の崩壊と、そこから、牛丼屋の分裂で
牛丼屋戦国時代となったわけです。しかし、この段階でも、やはり,吉野家の
味は一番とうならせるものがありました。

 ところが、ここにきて、神戸ランプ亭という新進気鋭の勢力に、吉野家神話は
崩れ去り、牛丼業界の形勢図が大きく塗り替えられようとしているのではないか
という、予感がいたします。

   *      *      *      *      *

やっぱり吉野屋 投稿者:ばじお@CPW  投稿日: 9月27日(水)18時49分44秒

何いってんですか!
牛丼といえば吉野屋、吉野屋以外にありません!(超強気)
ランプ亭のふくよかな甘み・・・?そんなの牛丼ではなくすきやき肉盛りどんぶりです。
松屋?味噌汁つけばいいってもんじゃありません。
吉野屋愛してうん十年。吉野屋よ永遠なれ!
こればっかりは絶対譲れませんよ!ふっふっふっ

   *      *      *      *      *

吉野家。。。 投稿者:さいとう  投稿日: 9月27日(水)19時05分37秒

長い間、愛しつづけた吉野家に愛想が尽きてきた気がするのは。。。
吉野家の味がわかってきているのではないかと、思っているのです。
どうも、肉が... 品質が落ちているではという気がしてならない。

実は、マクドナルドも、フレオフィッシュバーガーの味がおちて、
昔の味ではのです。(多分、ですが)

こんな話はよくあって、森永のエンゼルパイでかつて、30年くらい
前の味を知っている人は、いまのエンゼルパイを絶対に許せない!
あれは、途中から出てきた、マシュマロパイとミックスされ、もはや
かつてのものとはまったくの別物です。

ばじおさんにといたい、吉野家のお味は20年前から、いや、10年前で
いいですが、味が変わってきていませんか?
古いファンをだましていませんか?

ばじおさん、もしも、ですよ。もしも、仮定の話です。未来の話ね。

20年来、30年来、つれそった奥さんが、急に若く変身してしまって、
まったくの別物(髪は黒々、お肌はしっとりと張りがあり、おまけに
アツゾコはいて、言葉遣いもそういうようになって、さらに可愛くなってしまった)
になってしまったら、奥さんに裏切られたという気がしませんか、勝手に
若く変わりやがってって、俺が好きだった(かつて千年昔かも)俺のカミサンは
こんなんじゃないって。。。。。。

あっと、これって例えがわるいですね。
私だったら、喜んじゃうな!

   *      *      *      *      *

どうなんでしょ 投稿者:露壇庵  投稿日: 9月27日(水)19時47分27秒

味が変わったと感じるのは、消費者ニーズに対応した企業戦略なのか、
それとも、自分自身の味覚の感じ方が、変わってしまったのか。
よく分かりません。
ただ、学生時代に感じていた牛丼に対する憧れとか、思い入れは薄く
なっているような気がします。
ほとんど毎日、学食の120円程度の定食(かけ蕎麦なんて30円)を
食べていた環境と今の食生活は違うもん。

晴れて課題やレポートの提出を終えて皆で打ち上げに食べる牛丼は
とてつもなく旨かった。

   *      *      *      *      *

>牛丼 投稿者:さいとう  投稿日: 9月28日(木)12時53分18秒
(一部略)
詳しい調査は難しいですが,吉野家の牛丼を食べて
育った世代が、今の日本の経済を支えているのです。
ばじおさん、ロダンアンさん、WATCHさん、柴崎さん、しかりです。
私も吉野家、会社更生法適用時代よりのお付き合いですが、
是非皆さんに、おんぶをしてもらいたいくらいです。

ロダンさんのおっしゃるようにマーケッティング面から
みてみれば、吉野屋の硬派的牛丼屋の構えは多くの肉体
労働者層(私のようなsoftware業界も広義にはこれにあて
はまります)を引きつけることはあっても、決して、
女子高生やOL、人妻を拒み続けているのです。カップル
で入るような二人は何でもありの、これでもかって成れ
の果てに違いありません。
ガード下の屋台らーめんよろしく、濃いめの味付け、
「たくましい男たちの味」を追求し、今の形にいきついた
のかも。

巨人軍は、選手がみんな替わろうとも、巨人軍でありつづけ、
永遠に不滅です。しかし、吉野屋は、やはり吉野屋といえる
のでしょうか? 
吉野屋セブンとか、吉野屋クウガっていうのもどうでせう。

   *      *      *      *      *

中島みゆきだって唄ってるぞ! 投稿者:ばじお@CPW  投稿日: 9月28日(木)15時02分07秒

一日ぶりにお邪魔します。
このBBSで一日たっても話題が続いてるとは牛丼おそるべし。

吉野屋味が落ちた・・・気がつきませんでした。吉野屋通失格でしょうか。
それにしてもあのオレンジ色の看板にどれだけお世話になったことか。
腹減った時、悲しい時辛い時?金無い時やさしかったのは吉野屋とただ券配ってた餃子の王将
くらいです。(当時松屋はまだマイナーだった気がする。そういえば吉祥寺にあったような?)
それを外様のランプ亭が出てきたからといって・・・そんなに旨いなら明日食べにいきます!

そういえば一時赤坂に「高い吉野屋」がありました。牛丼一杯780円!
それこそ「すきやき肉丼」の趣で通常牛丼は置いてなく、あっけなく撤退しました。

   *      *      *      *      *

牛丼一筋90年 投稿者:ぶよんちょ  投稿日: 9月29日(金)01時34分06秒

人の人格が経験から成り立っているように
言葉の意味もまた、過去の体験から成り立っています。

私にとって牛丼という言葉はすなわち吉野家の牛丼を意味します。
私が生まれたとき、すでにそれはあって、当時私のいた環境では
牛丼はそこでしか食えませんでした。

私が牛丼が食べたいと思ったとき、それは、決して
松坂牛の霜降りと魚沼のコシヒカリと有機栽培のたまねぎで鉄人が作った牛丼
ではありません。
吉野家のあの牛丼でなくてはならないのです。
確かに、さいとうさんのいわれるように成田屋の石焼ビビンバは美味しいです。
ですが、本格韓国料理のお店の石焼ビビンバと同じ値段で並んで
どちらを食うかと問われると、それは本格韓国料理です。
しかし、吉野家の牛丼は違います。
いくら、鉄人作松坂牛の牛丼が同じ値段であったとしても
吉野屋が食いたいときには、やはり吉野家の牛丼を食べるしかないのです。

世の中には有機野菜が売り物の松屋、種類が豊富なすきや
いろいろ同業種はいますが、私にとってこれらは全て
吉野屋にあきたときの吉野家レプリカで、吉野家あっての存在です。
そう、たとえて言うなら、UFOにあきたときに買う
大盛りイカ焼きそば、いや、ハーゲンダッツが売り切れのときに買う
ファーション、いやいや、たまたまやってきたときだけのる
ハイテク通り経由海浜幕張駅行きでしょうか?

この議題を”たかが牛丼の事だ!”と軽く受けとめる方も居られるかもしれません。
しかし、私は決してそのような単純なことでは無いと思うのです。
皆さんにとっての牛丼とはいったい何なのか?
牛丼と自分とのつながりを過去にさかのぼって検証することで
今後の自分のありかたが見えてくるかも知れません。

PS:
よく、豊洲に出張するのですが、駅を下りると4番から地上に出て
ついつい、吉野家で牛しばいてしまいます。



■吉野家に関する記事は、こちらの牛丼論争にも掲載されております。





第4話 「F−1賛歌」
2000 F−1 チャンピオン決定! 
投稿者:watch  投稿日:10月 9日(月)02時21分05秒

2000年、F−1チャンピオンが決定しました。
少しいいですか、私のF−1への想いを語っても・・・

 1970年代、日本は高度成長期でやっとモータースポーツが定着してきた時代です。やっとF−1も、1976,77年と富士スピードウェイで開催されたのです。
 しかし、コース内に進入したカメラマンが1コーナーの事故に巻き込まれ死亡したのです。ここぞとばかりにマスコミは、「モータースポーツは危険だ!」とあおり立て、1987年の鈴鹿まで、日本でのF−1開催はなくなってしまったのです。

 私の小中学生時代の友人に、タイヤショップの息子がいました。そこのオヤジさんはやり手で、グッドイヤーを初めて日本に輸入したと言う人物で、フェローMAXでレースをしたり、その当時にビデオデッキを購入してグランチャンを録画して見せてくれたりと言う、少し変わり者だったのです。私のモータースポーツへの第1歩はここから始まったと言っていいでしょう。

 1980年代、星野一義、中嶋悟の走りに魅了され、1987年、中嶋悟のF−1参戦へと展開して行くのです。(ちなみにこの年ビデオデッキを買いました、F−1を録るために)
運良く、この年の鈴鹿のチケットを手に入れ、セナがいなくなる前年の1993年まで鈴鹿に通いました。息子の誕生もありそれ以来、生のF−1は見ていません。

 私は、1990年、4月に結婚しました。実は、新婚旅行にモナコへF−1を見に行きたくて、この日程にしたのです。あの有名なローズヘヤピンのローズモンテカルロに宿泊して、夢のようなグランプリ週間を過ごす事が出来ました。その時はセナが優勝してアレジ、ベルガーが続く素晴らしいレースでした。時、まさにバブルの時代、まさに夢のような旅行でした。

 しかし、セナの死を境に日本でのF−1ブームはしだいに去って行き、スーパースターを亡くしたF−1界もバブル崩壊と共に、注目を集めることが無くなっていったのです。
N・ラウダ、A・プロスト、N・ピケ、N・マンセル、A・セナの歴代チャンピオンは、確実に世代交代をしてきました、しかし、M・シューマッハはA・セナからチャンピオンを奪い取っていないのです。真のチャンピオンではなかったのです。
これが、イタリアで見せた、M・シューマッハの偉大なるセナを思った涙の意味だと理解しています。今年のワールドチャンピオンはその意味でも、「真のチャンピオン」だと私は思っています。

 今やっと、セナの死を全世界のF−1ファンは清算出来たのではないかと思っています。最後に、本当に、M・シューマッハに「おめでとう」と言いたいです。



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