「俺たち2」管理人による戯言
日記でもない、コラムでもない、単なる戯言。そんな感じ。
筆者は幕張ベイタウン在住のおやじ。結構、歳いってます。はい。
しばざ記
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「彼方からの訃報」
短い間のつきあいで、しかも、もう二十数年は会っていなかった人の訃報が届く。
西の空を見上げ、一緒に槍ヶ岳に登ったことを思い出した。


半月ほど前、熊本の片山さん(仮名)が亡くなったということを人伝てに聞いた。病死のようだ。知り合いの知り合いという程度のお付き合いだったけれど、一時期(私が二十代の頃)、何度か二人で飲みに行ったり、共通の趣味でもある登山にも二度ほど出かけたことがあった。彼は私よりも十歳上。未熟な私からみるとずいぶん大人だった反面、好きな登山のことになると少年のように目を輝かせていた。仕事帰り、待ち合わせた新宿のとある純喫茶で、うんざりするほど長々と登山の話などを聞かせてくれた。

その頃から数十年会ってはいない。ごくたまに年賀状が舞い込んできたこともあった。そのペースを真似たわけではないが、私も気が向いたときだけ年賀状を出していた。そのうち彼からはまったく年賀状が来なくなった。宛所不明として私が出した賀状も戻ってきた。電話番号も分からない。共通の知人に聞いても知らないと言う。完全に音信不通になった。そうなってからもかれこれ十年は経っていると思う。

彼は四十歳くらいまでの約10年間、下落合の辺りに住んでいたと私は記憶している。私は一度だけそこに行ったことがある。今にも崩れそうな古いアパートだった。六畳と三畳の台所の2部屋。畳の上にはカーペットも敷いていなくて、寒々しい印象がある。結婚はしていなかった。海外への登山に行くためにわざと定職につかず、製本会社で一応正社員で働いても、1年くらいで辞めていたり、いったい幾つの職場を渡り歩いたのか分からなかった。その後、田無のほうに移り、どういうわけかいつの間にか福岡に引っ越した。最後の年賀状は多分福岡だったと思う。終焉の地が熊本だったということは、その後また引っ越したことになる。

彼は友達がいないということをいつも言っていた。人とつきあうのが面倒臭いそうだ。そういえば、私が二十代のときに知り合った職場の登山好きの先輩も孤高の人だった。ただ、その先輩は女性にまったく興味が無さそうな顔をしながら職場のマドンナと結婚した。片山さんはどうだったんだろう。ルックスも悪くないし、考え方が偏っていたわけでもない。でも、福岡に引っ越した後の年賀状も単独の記名になっていたことから判断すると、少なくとも四十半ばまでは独身だったに違いない。彼は女性よりも山を愛していたに違いない。

下落合辺りのアパートにお邪魔したときの彼は、登山の写真や記録文を、得意気に私に見せ、そして説明してくれた。12月の半ば頃、日曜日の寒く薄暗い夕方だったような気がする。隙間風がビュービューと吹いていて、ガラス窓ががたがたと鳴っていた。石油ストーブの上に載せたやかんのお湯で、安いウィスキーを割り、二人で飲んだ。肴は、鯖の缶詰。彼は、半年くらいして金が貯まったらネパールへトレッキングに行くということを言っていた。

彼の部屋には殆ど物が無かった。カラーボックス一つに全てのものが詰まっていた。そのときに、あるいは後日だったか、「登山家は物欲が無い。何故なら山でいつ何時死んでしまうか分からないからだ。」というようなことを彼は言った。私は死を覚悟した登山なんてすべきではないと反論した。彼は大いに納得し、笑いながらその通りだと言った。結局彼は山では死ななかったが、きっと彼の身辺は殆ど何も無い状態だったのだろう。あるいは生きてたという証しさえも残さず逝ってしまったのかもしれない。合掌


2009/3/6
しばざ記 636
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