「俺たち2」管理人による戯言

本当だったらこういう「会」を開催するときは、中心人物ではないにしろ、必ずスタッフだった”ずっきー”。今日は君の為にこの会を開いた。この会が終わると、ベイ中には主だったイベントが暫く無くなってしまう。ちょっと寂しい。



鈴木真君を偲ぶ会
2007年4月15日(日) 僕らは決して忘れない!

午後3時。たくさんの人がジャイネパールに集まってくれた。遠方から、懐かしい顔ぶれ、そしてまた思いがけない人まで、ずっきーの付き合いの広さがわかる。先ごろ県議会へ再選を果たした臼井正一議員の姿もあった。ひとりずつ天国の彼へ語りかける。ベイタウン中年バンドのボーカリスト、タッキーが鎮魂歌を唄う。レストラン・ジャイネパールの玉置夫妻が語る。ピアニストの栗本修がピアノを弾く。それぞれのスタイルでずっきーの死を悲しみ、そして思い出話をする3時間だった。

生前の彼が歌う「ボーン・トゥ・ビー・ワイルド」の披露もあった。ツル吉さんからずっきーのお父さんへマリーンズのユニフォームも進呈された。ずっきーが以前これを着てロックを唄ったのだ。背中にはマリーンズのバレンタイン監督のサイン。前日、ツル吉さんがマリンスタジアムで書いてもらったものだ。その周囲に今日参加の全員のサインを入れて、お父さんに進呈された。

このリポートは、当日来れなかった方々の為に写真をアップした。



上の写真の左は彼の遺影。
昨年の11月にネパールに行ったときのものだという。
マヤさんが彼の為に祭壇をつくってくれた。暗くならないようにと、明るい花で飾る。
右は遺品。マリーンズの帽子とサングラスは家にあった。ビニル袋に入ったものは十字架のネックレスと、携帯電話。彼と一緒に海に沈んだものだった。



このシリーズにも写真を掲載した2月5日に彼が釣り上げた52.5センチメートルの黒鯛はネパール人コックによって調理された。中華風のアレンジ。供養に参加者のみんなで食べた。

会が終わったのは夕刻の6時を10分ほど回った頃。3時間の長丁場、皆さん、ご苦労様。
またお会いしましょう。
機会があれば追悼のライブでもやってみたいものだ。

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[ 追記 ]

そうそう、これを忘れてはいけない。同会で、ぶよちょ氏が「ライフジャケット(救命胴衣)の必要性を説いていた。「彼が生きて帰っていたら、絶対にこれだけはみんなに言いたかったんじゃないか。」って、ライフジャケットのサンプルも持参し、スピーチをした。確かにその通りだ。やや高い買い物かもしれないが、これで命を落とさなくてもいいのだから、釣りには必需品だろう。

2007/4/16 しばざ記 231

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