「俺たち2」管理人による遠距離通勤マガジン


入社2年で辞める奴

とうとうこの「しばざ記」が第100号を超えた。輝かしいというか、忙しいと騒いでるわりには、結構暇なんじゃないか、と思われるかもしれない。確かにこんな役に立たないどうでもよいことをズラズラ書いていても仕方無いし、そろそろやめようか、と思ってもみたが、またこうやって性懲りも無く登場してきた。ごくごく少ない読者の方から励ましの言葉も頂いた。



ところで、もうずっと定職を持たない若者が増えているが、はなっからあえて就職しない人間もいるし、いろいろな事情で就職できない人間もいる。あるいは、会社に入ったものの、「これはオレの道と違う!」と言ってすぐに辞めてしまう人間も多い。

きっとそんな奴はごろごろいるだろうし、いて当然だろう。会社に勤めるというのは、会社にお嫁にゆくようなもんだ。大勢の同僚と一緒に、人生の大半を過ごさなくてはならない。我々の頃は生涯一企業と考えていたものだ。だが、会社側とうまく行かなければ離婚となる。無理していても仕方ない。

だから簡単に辞められる時期に辞めてゆける年代が羨ましい。かく言う私も20代に2回転職している。1度目の会社は気づいたら入っていたという感じ。2度目も自分の能力をもっと引き出せる会社は無いか、などとうろうろしているうちに、いつの間にか就職してしまったという具合だ。

だから就職して1〜2年で会社を辞めてゆく若者の気持ちがよく分かる。ずっとフリーターをやっている知り合いはいないけど、転職してまあまあそこそこ暮らし向きが良くなったとか、やりたいことが出来るようになったと喜びのメッセージをくれる後輩もいるし、どうも今ひとつぱっとしないからまた転職するという者もいる。

写真のS君は今年の3月頃に会社を辞めた。大学を出てからほぼ2年勤めていたので、年齢は24〜5歳だろう。会社では営業のポジションにいた。長髪でサーフィンをやっているから色黒で、とても営業職には見えない。会社からは四六時中「髪を短くしろ」と言われていた。私も彼に同様なことを何度か言ったこともあった。

あるとき、彼が言った。「実は僕は営業をやりたくて会社に入ったんじゃないですよ。デザイナーを目指していたんです。」

なるほど、彼はイラストもうまいし、どことなくそういった素質がそこかしこに見受けられた。だが、人員にまったく余裕が無い。「営業マンの人数 × 一人頭の売上高」で成り立っているようなところがあったので、デザイン部門へのコンバートなどまったく会社は考えてくれなかった。

彼は独学で、デザインを勉強し始めた。会社の業務は毎日早朝から時には深夜に及ぶ。彼は限界を感じてきた。このまま会社にいたら絶対にデザイナーにはなれない。私も彼に、辞めることを薦めた。本当は絶対にそんなことを薦める立場ではないのに。

それから半年、都内のデザイン会社に勤めていることは聞いていたが、彼から突然電話を貰った。
「やりました!やりましたよ!ついに僕のデザインが表紙を飾った!」

彼は、ちょうど私と私の仲間がガーデンウォ〜ク幕張というところでライブをやっている会場にそのデザインしたカンプボードを持ってきた。私は、少し会場を離れて、喫茶店で彼の作品をじっくり見させてもらった。

「どうですか?凄いでしょう?表紙ですよ!表紙!あれから半年。半年で表紙を任されたって、凄くないですか?」

確かに凄い。ある食品業界誌の表紙なのだが、おそらく全国に万単位で購読されている本である。食品業界だけではなく、病院の待合室や自治体にも置いてありそうな本である。私は、「やったな。」とだけ言った。デザインがいいとも悪いとも言わなかった。

彼のデザインは得意のイラストを中心に、文字などがセンス良く配置されていた。食品業界なのに、一瞬美容関連の本ではと疑うような垢抜けたものだった。おそらく、業界の重鎮をねじ伏せるようなしっかりしたコンセプトも備わっていたのだろうし、プレゼンでもそれなりの営業トークが出来たのだろう。

今まで彼のデザインの素養を認めてはいたが、決して褒めなかった私が自分でもおかしいくらい喜んでいた。なにしろ彼は輝いていた。私の後輩であった頃よりずっと、ずっと。

「また何かいいデザインが出来たら持ってきますよ!」
そういい残して彼は帰った。
よっしゃ、私も頑張るか!!

(2004/12/28)




我が家のクリスマスイブ


慎ましく、でも、我が家にしてはちょいと盛大にパーティーをしました。
実家のおふくろも招きました。

2004/12/24
しばざ記 Vol.101


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