「俺たち2」管理人による遠距離通勤電車マガジン

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KRONIZCK LIVE Report のようなもの
2002年12月9日  栗本修&KRONIZCK ライブ・アット・ジロキチ

12月9日。この季節には珍しく、積もるほどの雪が降った。今年は例年に比べて冬になるのが早かった。12月は冬といってもぽかぽかと暖かい日が多いというイメージを私は持ってのだけれど、既に11月から真冬並みの気温になっていた。だから、数十年ぶりとは言っても、雪が降るのも決しておかしくはない。しかし、こう一日中雪が降るとは誰が想像したであろうか。お陰で電車のダイヤが大幅に遅れ、仕事にも影響があった。

KRONIZCKのライブは、よりによってこんな日に行われた。KRONIZCKとしては、2回目のJIROKICHである。天気が悪いので、お客さんは誰も来ないだろうと思ったが、そこはさすがプロだけあって、各メンバーがそれぞれファンを連れてきていた。JIROKICHIは狭いので、少ないお客さんでもそれほど気にならないのがいい。それに、飲食をするテーブルの間近でアーティストが演奏するので、迫力もあるし、気軽に声も掛けられるというアットホームなライブハウスなのだ。

私は、開演の1時間前に高円寺に着いた。前回のリポートでも書いたとおり、高円寺は色々と思い出のある地なので、気ままに散策しようと思ったのである。しかし、さすがにこんな天気じゃ、オモテを歩くのは気が引ける。そこで、なかなかやまない小雪を避け、比較的暖かなガード下のオリエンタルな民芸品などのお店を見てまわった。ムゲンという名のお店は、インド、タイ、ネパール、ベトナム、中国の小物や、インドの打楽器タブラ、弦楽器のシタール、インドネシアのガムランなどが売っているて、欲しくなってしまう。高円寺はこんなお店がたくさんあって面白い。結局このお店で1時間を殆ど費やして、慌ててJIROKICHIに駆け込んだ。いつしか雪はぱらぱらとした小雨に代わっていた。

入り口で2500円のチャージ代にドリンクを1品付けて、テーブルに座った。客席には外人もいた。セシル・モンローが親し気に彼と話し込んでいた。私の座った隣の席には後藤輝夫がいて、若くて綺麗な女性客2人と話していた。ステージの右にはどうやら是方博邦の知り合いと思われる女性が。出演者がこうして客席でくつろいでいるのも小さなライブハウスならでは、のことだ。残念ながら私の相棒は男である。彼は、私が席に着いてから約10分後に入ってきた。栗本修は忙しそうにあちこち歩き回っている。ライブの前は緊張するという栗本だけが他のメンバーと違う動きをしている。

さて、演奏が始まる。KRONIZCKは、通算してかれこれ十数回のライブをやっている。その殆どに通っている私であるが、最近再びこのバンドの凄さを味わっている。その大きな理由がバカボン鈴木の参加であることは間違いない。ベイタウンの事情通日名子氏をして、彼は日本一のベーシストと言わしめた。もちろん、前任ベーシストのグレッグ・リーも素晴らしいベーシストなのだが、割りと叙情的なものが多い栗本修の曲に合わせ過ぎていた傾向があった。彼本来のベースはもっとパワフルなはずで、グレッグを知る人間にとってはKRONIZCKでの演奏は物足りなさを感じるかもしれない。

しかし、このバカボン鈴木というベーシストは栗本音楽に迎合しない。ステージ上でふてくされたように立っているのは彼のキャラであるにしろ、栗本のMCに対して何かと文句とつけていることをとっても見抜ける。かといって、一緒に音楽をやる以上はいい音楽をしたいというプロ意識が高いのだろう。楽譜から読み取れる情報の数倍高い次元のプレイをしてくれる。前回のブルースアレイの時に、バカボン氏と少しだけ話すことができ、彼がKRONIZCKをどう捕らえているか、ということを聞いてみた。それは、私が思っていることそのものズバリだった。つまり、KRONIZCKの曲は、ベースプレイに関して、凄いことが出来ないのだと。

この辺り、おそらく栗本も分かっていて、ベースのソロを長めにとったりとバカボン鈴木の持ち味を引き出そうと努力しているようだ。それは、バカボン氏が参加してから2回目のステージあたりから私にも伝わってきた。KRONIZCKの曲の中では一番ヘビーでドライブ感のあるGT-31という曲は、バカボン鈴木が自由に弾きまくるイントロ部を重視している。この曲、ライブのラスト曲でもあるので、観客はバカボン鈴木のベースラインとふてくされたように弾くビジュアルを瞼に焼き付けてゆく。それは私の好きな楽器がベースギターだから贔屓目に見ているわけではない。事実、楽器をまったく知らない人間をKRONIZCKのライブに連れていってもベースの印象が強く残っていることを言うのだ。

このバカボン鈴木のふてくされた妙な緊張感が他のメンバーにも伝わっているのか、後藤輝夫なんか、やけにハッスルしているようだ。セシルのボルテージも上がっているように感じる。今回のステージでは長いドラムソロが2回もあった。滅多に肩で息をすることがないセシルが初めて粗い息を吐いていた。それだけ今回のライブが凄かったということだ。もちろん、バンマスの栗本も負けずと鬼のようにピアノを叩いた。後で聞いたら、ややヤケクソ気味だったが、何も考えずにプレイできて気持ち良かったと言っていた。

ライブはある意味でスポーツのようなもので、きっちりと計算して、その通りにゆくかというと、結果はそうではないことが多い。栗本の音楽はどちらかというと、計算された音楽であり、アドリブの部分もともすれば型にはまったようにあまり冒険をしないケースが多い。それが壊れるとき、栗本音楽の可能性がぐぐっと広がる。悲しいかな、壊れる時は大概失敗した時だ。リカヴァーをいかにうまく誤魔化して、そして開き直るかという技が素人とは違うところだと私は思っている。今回のライブでも相変わらずきっちりとした楽譜を作ってきて、あれやこれやと考えていた栗本であった。

ところが、いつものように栗本のオリジナル曲が続かない。後藤輝夫推薦のスタンダード2曲、バカボン鈴木の作曲で彼のバンドで演奏している2曲、それに是方博邦が考えてきたホワイトクリスマスのブルースバージョンという展開だった。栗本がマンネリ化を恐れてメンバー各自にやりたい曲をそれぞれ持ってくるように指示したのもあるだろうが、おそらく後藤とバカボンが共謀し、こういう流れになったのだと思う。結果から言えば、それが功を奏した。

バカボン鈴木の曲は栗本にとって初めて見る楽譜だったが、新鮮だったし、なによりも全編が見せ場の凄い曲でいい刺激になったはずだ。「憧れのヨーロッパ」というバカボンのオリジナルは凄まじいベースプレイだった。超高速のビデオ速回しのように、バカボンの指先が動く。ディストーションとフランジャーをミックスしたような音色にしてのコード奏法。あまりの速さに残像しか見えない。ジャコ・パスよりも速いんじゃないかと思ったくらいである。心無しか是方がそれを見て苦笑いしていた。しかし、是方も負けてはいられない。全般的にいつもより速弾きのパートを多めにやったような感じがした。

それでも、バラードも良かった。前半の2曲目に栗本が好んで演奏するSTAFFの「And Here You Are」。ここで是方がややリバーブを深めにかけ、アコースティックシュミレーターにややコーラスをかけたエフェクト(違っているかもしれないが)で、ゆったりとしたストロークのコードを弾いた。メロディラインは栗本のピアノ。その曲での是方は地味であるが、随所にセンスのあるオカズを入れている。また、これぞ是方サウンドの決定版、ブルースのホワイトクリスマスは見事だった。イントロは、別にホワイトクリスマスであろうが、なんでも良い。まんまブルース。ビブラートの効いたリフがいい感じ。以前にも書いたが、是方がいるだけで、単なるフュージョンバンドではなくなるのだ。

いつものKRONIZCKではなかったもう一つのポイント。それは栗本が1曲だけだけど、シンセサイザーを弾いたことであろう。しかも音色は70年代のプログレ風。こういうタッチの栗本のシンセは10年ぶりに聴いた。彼と私は同年代なので、彼が音楽家を目指す過程で、好んでディープパープルのジョン・ロードを聴いていたというのも頷ける。だから長年やっていたスイング以前に根底にしっかりと70年代ロックが染み付いているのだ。現在彼のもうひとつの顔としては、フラメンコダンサーの長峯ヤス子さんのステージの音楽を制作、演奏をしているが、そこで弾いているシンセのタッチは70年代後半のプログレそのものだ。

後藤輝夫も毎回点テンションが上がってゆく。元々彼はビジュアル的には非常に地味で寡黙な感じがするのであるが、音楽が始まると、これでもかという具合にサックスを上下左右に動かし、バンド内で一番派手な存在に代わる。例えが良いかどうか分からないけど、サックスという空気が音に代わるようなつかみ所の無い(と私は思っている)楽器に魂を入れている職人のような雰囲気だ。そう、ガラス職人が長い筒を吹いて、くるっくると回しながら立派な花瓶を作り上げてしまうのに似ている。力強い演奏もぐっとくるが、バラードの時の微妙な揺れ、かすれがまたたまらない。

ところで、KRONIZCKの目玉といったら、後藤と是方のユニゾンだと私は思う。年がら年中ユニゾンをやっているのではないが、必ずライブにテーマ部がそうなっている曲を最低2曲はやる。あのGT-31のテーマ部がそうである。あのくらい速いテンポのユニゾンは気持ちがいい。それに良く聴いていないとどっちがギターの音色でどっちがサックスなのか分からなくなってくる。是方はアームをうまく使っている。サックスのビブラートではなかなか出せないぐにんぐにんした音を出す。音の重なることの相乗効果で、テーマの中でサックスが外れる間隙の是方のギターもまた活きる。

先程、バカボン鈴木の参加がKRONIZCKにいい刺激を与えているということを書いた。加えて、アイコンタクトも多くなったような気がする。普段は別々な活動をしているメンバーだから打ち合わせの不十分さをアイコンタクトで補うのであるが、KRONIZCKの場合、バンマスである栗本修がピアノを弾きながら立ち上がり、指示を与えるのがパターン。今回はバカボン鈴木が中継してセシルに伝えている場面が多かった。もちろん、バカボンのオリジナル曲では、他のメンバーが曲の展開を熟知していないので、バカボンが指令塔になる。今回はそればかりか、中田ヒデのように、中盤の指令塔となり全体を指揮していたような気がする。特にラストのGT-31では、バカボンのリードにより曲が進行した。栗本も全く予期しない展開になったのだ。

GT-31は非常にアップテンポで、しかもパルス的というか、典型的なフュージョンミュージックである。(確か、いきなりタイトルを「BIG HIT」にする、というように栗本が決めてしまったのだが、このライブでは盛んにGTの呼称を使用していたので、文章中ではそちらを使用している。)いつもの通り、バカボンのスーパープレイでテーマが流れてゆく。後藤のサックスソロに入る前にバカボンが突然スゥイング、しかも相当アップテンポのベースラインを弾き始めた。それはウッドベースでやるウォーキングという分散コードである。バカボンはにやりと笑って、セシルに合図を送り、同時に後藤にもスゥイングっぽい奏法を求めた。後藤は逆にこの手のタイプの曲は得意だし、栗本も長年スゥイングやっているので、すんなり対応していた。しかし、栗本はきっと相当焦ったに違いない。

ライブ終了後、栗本にそのことを尋ねてみたら、やはり一瞬どきりとしたらしい。「バカボンさんがいきなり仕掛けたんだ」と笑いながら語っていたが、心中穏やかではないだろう。今まで、多少羽目を外したアドリブを後藤がやったにしろ、それはあくまでも想像できる範疇であった。しかし、バンマスの指示無しでいきなりフォービートのスゥイングになってしまうのは、面白い試みでもあるけど、少なくともKRONIZCKでは考えられないことだ。第一、栗本はそこまでシャレの利く人間ではない。だが、この路線、実は私が望んでいたことだ。なんとか、スゥイングの良い部分をKRONIZCKの音楽に活かせないか、と栗本に何度か提案している。

栗本は私の提案に素直には応じてくれなかった。他のバンドを作ったら、というような言い方をしたような気がする。現在のKRONIZCKでは実現できない、と思っていたと思う。それをまさか、バカボン鈴木がいとも簡単にやってのけた。それもそのはずで、彼もまたスゥイングを相当経験しているのだ。それに栗本も後藤もセシルもスゥイングの下地が出来ていることをバカボンは知っている。だからこそ抜き打ちでスゥイングに走ったのだ。ところが、この思い付きとはいえリズムの切り替えが実にスムーズだった。そして、久しぶりにスゥイングでピアノを弾く栗本修を聴くことができた。実に新鮮なトーンだった。会場の誰もがはっとした。あのセシルもなに食わぬ顔でフォービートを刻んでいる。そして、再びいつものリズムでテーマに戻りエンディング。残念ながらスゥイングの時にはさすがの是方も軽いピッキングさえしていなかったが、テーマに戻ったところでぎんぎんに弾き出す。

お見事、お見事。素晴らしいライブだった。狐につままれたように放心状態になった栗本。彼は、こう言った。「なんだかわからんけど、こういうライブもいいな。」つまりだ、バカボン氏のああいう破天荒な音楽性にメンバーが、バンマスまでも影響され、栗本が思い描いていた音楽でなくなったのは確かで、しかもその音楽が良い方向の計算違いを引き起こした。適当に、と言ったら失礼だが、ライブに望むのにかっちりと決め事を作り過ぎ、変な緊張感を持たないほうが、いいライブになるのだ、ということをバカボン鈴木が栗本に教えたかったんじゃないかと私は思う。曲間で、バンマスのMCにいちち噛み付いていたバカボンに対して、やや栗本もうんざりしていたが、結果的にはKRONIZCKの新しい可能性というものが見えてきたようなそんな気がした。

毎度のことだが、遠距離通勤の電車の中で勢い良くキーを叩いているので、誤字脱字、拙い表現力はご容赦願いたい。

2002/12/10 Zaki

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しばざ記 Vol.32


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