「俺たち2」管理人による遠距離通勤マガジン



今回の「しばざ記」は、私と同じマンションの住民さんで、女優さん、シンガー、翻訳家などマルチな才能のあるプリティ・レディさんの執筆されたものを掲載いたします。

つーか、そんな人がご近所にいらっしゃるなんて、すげえ感動なのでございます。
まいりました。

タイトルは『ときめき』。ま、コラムですね。女性ならではという感じもありますが、でも、かなりストレートに物事をおっしゃる彼女ならではの表現もあります。2002年3月8日から、8月1日までのものをメールで頂戴しました。


右の写真は、そのプリティレディさんの執筆とはまったく関係ないのですが、2002年8月1日の営業中に通りかかった大宮駅西口の神輿です。
大宮で神輿を観たのは、大宮に赴任して初めてのこと。

なんか珍しいなあ、なんて思いながら観てしまいました。
この神輿を横目に観ながら、これから都内に向かいます。
大宮だけじゃ売上にならないっす。(泣)
通勤もなんか大変っす。(泣)
泣き言だらけですが、頑張ってゆきましょう。
と、自分に言い聞かせます。

2002/8/1 Zaki


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プリティレディさんのときめき
 このページは、私と同じ屋根の下に暮らす、Pretty Ladyさん(と、いっても同じマンションの住民という意味)が執筆した「ときめき」というタイトルのメールを集めたものです。


ときめき(その1)

みなさ〜ん、お元気ですか。頻繁に会っている人も、「あれから」すっかりご無沙汰している方々も、花粉症の季節をいかがお過ごしですか。

私、最近ルンルンしていて、なんだか、"ときめいて"いるようで、少しお裾分けしようかなと思い、メールを打っています。

私、もう「うん才」なのだけれど、少しづつ、今生で与えられた自分の使命みたいなものに気が付き始めたみたいなのです。つまり「通訳」する事が大変面白くなってきたみたいなのです。自信もかなり付いてきたみたいで、いきなり全く別な業界の会議に初めて出されても怖気づかなくなったのです。つまり、「通訳が結構楽しく好きになった」ようです。これは、もう2足のわらじを履くのをやめ,老後に向けて自分の進路を一つに絞り、昨年10月に通訳学校に通い始め、同時通訳のコツを勉強し始めたためのようです。英語漬けの生活を5ヶ月間送りました(学校はあくまで間接強制を行う場所であって、学校が全てを与えてくれたわけでは全く無く、ただ単に、その授業料があまり高いので、それを取り返すためには思いっきり勉強するっきゃないと言う、しっかりした経済感覚がなした事なのです)。今までどきどきする最初の15分間が無くなり、数十人の会議の席でヘッドフォンをかけてマイクに向けた同通に、たじたじにならないでいる自分に感嘆しちゃっています。「稽古の力って本当にすごいなぁ」(稽古ができていれば本番は怖くないといった芸能界の先輩たちの話は正しかった!)。そしてまた、英語の勉強が楽しくなってきました。毎日毎日、米国の生のニュースが聞ける今日、生の最新の英語をゲットしています。あの「天下の”サイマルから仕事をもらえる状態になり、「これからだ!」と力が入ります。

その通訳学校も後一回で終わり。その後は、ずっと辛い思いをしのいで休んでいたシナリオ・ライティングのクラスに戻ります。シナリオは通訳の勉強とは違い、なんと言うか、心をとても豊かにしてくれます。通訳が稽古とまねの世界なら、シナリオは創作の世界です。自由に想像の世界を旅できる事で気持ちのよいバランスを取っています。

さて、話は変わりますが、3月に落成する幕張ベイタウン・コア(図書館、コンサート・ホール、公民館等のコンプレックス)の記念ミュージック・フェスタが4月6,7日(土、日)にあり、私も事の流れで参加する事になりました。なんと、40くらいのグループが参加するというのです。久々に歌を歌います。私の歌を「聴きたい」と言っ
て下さった方々(そう言った事を覚えていらっしゃるかしら?)、「また聞きたい」と言って下さった方々、「聞いてやってもいいか」と思っていらっしゃる方、寄って頂戴、見て頂戴。6曲くらいをカルテット(4人組バンド)を従えて歌います。私の出番は、日曜日の夕方ごろらしいです。無料です。

人生は、ラビサバ。

(2002/03/08)

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ときめき(その2)
「Yagudin を見てきました」


Wowwwwwww!!!!

目の前でYagudinのスケートが見れるなど・・・・
観ていましたか、ソルトレークの冬季オリンピック?私はフィギュア・スケートの美しさと、華麗さと、スリルに全く心奪われ、特にペアと男性シングルを興奮と涙で見ていました。男性シングルでゴールド・メダルを取ったロシアのAlexei Yagudinのほとんど完璧なまでの演技に、やはり技術ではどの国も及ばないボルショイ・バレエを背後に想像しました。そのヤグーディンを、なんと、偶然に、19日に、長野で、氷上で、見たのです。

野沢が杉花粉の全盛期の真っ只中である事を知らず、6年ぶりにスキーに行こうと「いざ!」腰を上げ、杉に囲まれたスキー場で滑るや(?)、板のせいか私のせいか、まっさかさまに転び、首がねじれ、3日間の予定が半日で終わったスキー。その挙句、花粉の勢いに負けた夜中の惨事。「こういう事もあるわ」、と3日目に早めに帰京しようと長野駅に着いた私たちの目に飛び込んできた「長野フィギュアスケート世界選手権」の広告。

「あのヤグーディンが観れる」・・・・そして観てきました。本田君も見てきました。米国のティモシー(銅メダル)も見てきました。本当に、本当にすばらしかった。
ヤグーディンはオリンピックの時も今回も同じように素晴らしかったけれど、本田君やオリンピックで5位だったロシアのAlexander ABT(ヨーロッパではヤグーディン、プルシェンコに次ぐスケータらしいです)はオリンピックの時よりずっと自由に素晴らしい演技を見せてくれました。2位のプルシェンコは今回来ませんでした。

私も若い人達に混じって、花を氷上に投げてきました。まだ、興奮が冷めていません。
Wwwwwowwwwwwwwwwww!!!!!!!!!!!

(2002/03/21)

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ときめき(その3)
「お花見と常時接続」


to some of you: send my thanks to your interpreter xxxxxxxxx

風変わりなタイトルで、こんにちわ。

まず初めに、先日のベイタウン・コア会館記念のミュージック・フェスタにお出で下さった方々(遠いところから来てくださった方には、何か大変恐縮致しました。歌う曲数が少なかった上、ステージが終わってもお話できませんでしたものね。胃痛が背中まで押し寄せ、立っていられなくて、まっすぐ帰宅させていただきました)、メッセージを送ってくださった方々、来るといって来なかった方、全くウンでもスンでも無かった方々(それでも陰で「楽しんできてね」と言ってくれているのだと、その愛情を疑ってはいないぞ!)、皆さん、ありがとうございました。楽しくやらせていただきました。来場者の多くの方々から、直接間接に「楽しかった」「素晴らしかった」と言う声を頂き(「ぜ〜んぜん!」と思われた方もいるかもしれませんが、そう言う声は、今のところ入ってきていないので前者が多かったのだろうと、信じております)、やった甲斐があったかな、と思っている次第です。「"リリーマルレーン"の歌では涙が出そうになったの」と言う声を間接的に聴いた時は、「あれ、まだ私は廃れていないのかな、じゃ、もっとやろうかな」と、捨てたはずの世界が、何やら、ちらちらと未練がましく、私の目の前を行き来する瞬間もございました。しかし、まあ、私は元自民党幹事長の加藤何がしではありませんぞ、なびかない事にします。

春うらら・・・我が家の部屋の真ん中にある10畳ほどの庭に、霧島つつじが真っ赤に咲き、小手毬が真っ白な花を沢山付けて重そうにしかし優雅にしな垂れ、薄桃色の椿が上品に目立ちもせず、さりとて慎ましくも無く誇らかに咲き、黄色や白色の小花がその周りをなんとなしに飾って、春の祝宴をあげております。花や葉が、陽の光に浴して少しの風に揺らぐ姿は、まるで、こらえられない喜びに踊っているようにさえ思えるのです。その庭のある廊下を通るたびに「あなた達は美しい」と心の中で語りかけながら、何度か立ち止まっております。ときめき。

私の旦那さんの睦生君がリストラの波に乗って、「早期退職」志願をし(早期退職志願をし、得する人のなんと多い事!、睦生君はそのうちの一人かしら?)、現在もとの通訳に戻ろうと勉強しておりますが、それを機に我が家もインターネット常時接続に切り替えました。今日がそのサービス開始の日ですが、スピードの早い事!今後は欲しい情報をゆったりした気持ちで(電話代の心配をする必要が無くて、本当に楽です)、いくらでも入手できるので、生活パターンが少々変わる気配がします。この常時接続サービスの受信に伴って、私のメールアドレスも変わりました。今後は以下のアドレスになりましたので、よろしくお願いいたします。
pretty_lady@kjps.net
(prettyとladyの間にはアンダーバー、”_”が入っています)

さて、最後に、皆さんの中で花粉症で悩まされている方はいませんか。私は、早春の季節にびびっている者のうちの一人です。くしゃみ(咳は漢方でどうにか解決できています)をし過ぎて、軟口蓋が痛くなり、そこを舌の先で労わると、くしゃみがより促進する、と言う、苦しい状態です。そこで、大発見!くしゃみをする時に、鼻を指で思いっきり摘むのです。そして遠慮せずに、今まで通り思いっきり、くしゃみをするのです。すると、軟口蓋にぶつかるのを避けてくれます・・・という訳で、今では遠慮なくくしゃみをしております。でも来年は跳梁跋扈(チョウリョウ・バッコ)するスギ花粉も、少しはおとなしくなるようですね。そもそも、政府の管理怠慢により、育つだけ育った杉。石原都知事の東京が、この夏、杉の伐採に乗りだすらしいですね。堂本さんも西に倣ってください、こういう時は!

また、皆さんからのお便りをお待ちしています。もちろん、私も、また、書きます。

(2002/04/21)

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ときめき(その4)
「虹」


5月26日、大きな雷と突風が一時関東地域を脅かしましたが、その直前、美しい虹が二重の半円を描いて空を飾りました。我が家のバルコニーから写した虹をお届けします。



(2002/05/30)

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ときめき(その5)
「そして・・・ワールドカップ」


たくさんの感動とときめきを与えてくれた (くれている) ワールドカップ。苦笑(私にとっては大笑いでしたが)と、辛さと、悔しさも入り混じった最近の試合。

日本チームの話をするのは気が滅入るけど、でも・・しよう。

ただただ韓国の選手に比べて、意思の弱さが目立つプレイ。「ご苦労さん」なんて言えない、”集中力の欠如”が恨めしい。雨のせいじゃない、皆雨の中でも練習しているはずだし、トルコチームだって同じ条件。同日の韓国チームの「絶対に勝つ」という熱気、活力、執着心。あれは、ものすごい「勝つ」という意思のぶつかり合いを見せてくれた、すさまじいプレイだった。その姿に感満ちるあまり、日本チームのプレイ姿に憤りさえ感じる。16強に入っただけで満足ですって?トルシエ監督はその雰囲気を感じていたから、プレイメンバーを代えて士気を高めようとしたらしい。もし、韓国が先にプレイをしてその結果が日本チームに伝わったら、日本チームはもっと挑んだのかな?  あれやこれや分析しているうち、なんだかこの2つのチームは今の日本と韓国の経済状況の原因を象徴しているように思えてきた。

あり得ないだろうけど、冗談でこんなことを思っていた:「決勝戦で韓国チームと日本チームが戦う」・・・”夢の裂け目”どの試合でも、敵が先制すると必死に挽回しようとする精一杯の表情が画面に映し出されると、胸がキューんとなり、どっちが勝ってもよくなり、結局はよい試合を見せてくれればよいという結論になるのだけれど、日本チームが負けたときの口惜しさは、それでは済まないようなものがあったな。

さて、おっかしい話・・・ははははは、
ポルトガルの事。あっはははは。

韓国と試合をして前半戦終了後に、同日同時刻に行われている米国対ポーランド戦で米国が負けているのを聞いて、韓国とは引き分けで仲良く決勝戦進出だ、”めでたしめでたし”と判断したポルトガルチーム。後半戦が始まりピッチに集まった韓国選手にポルトガル陣が"ウインク"(つまり、仲良く引き分けようね)。このウインクの意味がわからない韓国陣。韓国チームの監督は米国の負けを知っていたけれど、猪突猛進の韓国気質を知って、それには触れず「3点とって来い」と言っただけとか。強引に攻めないポルトガル勢、「あれ?いつでも勝てるつもりなのかな」とその理由を汲み取れない韓国勢・・・・そしてとうとう点を入れてしまった。およよ・・今回のポルトガルチームは、ゴールデンエイジと呼ばれる、最強メンバーだったのに。

「お前の国は何を考えているんだ?仲良く決勝トーナメントにいけるはずだったのに」と、ポルトガル人記者は憤懣やるかたなかったとか。ラテンチームの間では、”これ”は”常識”なんだそうで。「文化」の違い計算外(日経新聞より)だったとか・・・

ポルトガル、Figo、悔しいね。ラッキーだったね、米国・・・そしてきっと、韓国も。
                ・・・・・・・・
                ・・・・・・・・
ワールドカップ! こんなに国を挙げて燃えるスポーツの提案者に乾杯!

(2002/06/19)

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ときめき(その6)
「カーテンが降りて」


いやはや、いいゲームでしたね!もちろん、ワールドカップのブラジルとドイツの決勝戦の話
いや〜〜〜感動してしまいました。涙が出てしまいました。この1ヶ月のハイライトシーン!
真剣な顔が、一生懸命な顔が、命かけたような顔が、喜び、涙、悔しさ、無念さ、達成感と共に、そこにありました。(高いお金を払って、精気を感じない、チープなオペラより、どれほどよいか)!!!

全世界の多くの人たちが興奮した1ヶ月でしたね。
ロシアでは、毎回のゲームで最優秀プレーヤにポルシェをプレゼントするという企業が現れ、決勝戦までの全7回分の7台を、ワールドカップ開始前に、すでに用意したという話(1台くらいもらった人はいるのだろうか)
イギリスでは、ブラジル戦を前にして、神様に「おお神よ、どうぞブラジルを抑えたまえ」と、一晩中祈った牧師がいたとか。
韓国では、老人が、「今日まで生きてきて本当によかった」と感無量に話していたとか・・・・
ドイツの首相が、カナダのサミットで、ワールドカップ観戦のためにチャーター機を準備して欲しいと、小泉総理に言ったとか(本当に来ちゃった!) (「それにしても、お宅は今経済順調なんでしょう、まあ、この不景気な日本に、よくもそんなおねだりができましたね」「半分払ったかもしれないよ」)

私がサッカーに興味を持ち始めたのは、4年前のフランスのワールドカップの時。たまたまパリにいたのですが、パリの地下鉄の駅を複数のスコットランド人が、あの伝統衣装を身に着けて、よその国に来ているにも拘らず、大きな声で歌っていて(後で、それがフーリガンだと知った)、それをフランス人が、事も無げに傍観し、無関心の態で通り過ぎる姿を目の当たりで見た時でした。ホテルの受付もボーイも客も、サッカーの話で尽きない。そこで日本に帰って、その続きをテレビで見たのがきっかけ。

これって、国と国の「平和な戦争」ですね。人間が本来持っている動物的(暴力的)本能、放たずにはいられない本能を、巧みに、無血の戦い、より平和への行為に結びつけた、すばらしい発案ですね・・・・・そう気づいた時、背筋がゾクゾクして感無量になってしまった(最近歳のせいでしょうか、涙腺がもろくなりました)!

今日(日曜日)はたまたま仕事でした。あるドイツの大手企業が、自社の宣伝も含めて、ワールドカップ決勝戦を取引先と一緒に観戦しようと企画した、100人あまりのパーティ。サッカーコメンテータの、ミシェル・宮沢氏のサッカーコメントもありで、盛り上がったのなんの!(一番盛り上がって、はしゃいでいたのは、この会社の社長、決勝戦のドイツのユニホームを着ちゃって・・・一人ではしゃいで、飛び回るから、通訳の私も飛びまわされたのです。何度演壇に立たされたか・・・)。その社長の話・・・ドイツでは誰でもがサッカーをし、どの町にも子供リーグが年齢別に6組ぐらいあって(5歳から18歳まで)、一般的には、なんと、5歳から始めるらしい。
彼も5歳から18歳までやっていたとか。また、これも彼の話・・・カナダには男のサッカーチームがなくて、代わりに女性チームがあるんですって。4年後はドイツだけれど、2010年のワールドカップはアフリカ、おそらく”南アフリカ”が約束されているとか。パーティが終わって皆さんバスでスダジアムへ。もしかして、私も来ても良いという事にならないかと、そっと運動靴とカジュアルウエアをバックに用意して行ったのですが・・・・

熱戦の1ヶ月が終わって、今思うことは・・・ありがとう、本当にありがとう、感動をありがとう、勇気をありがとう・・・・・・

"Even you lose, you are still qualified" (ドイツ人の社長がパーティで言っていたことです)

(2002/07/01)

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ときめき(その7)

「そろそろ、歌うかな?」
「えっ」
「エディット・ピアフが出てくるかな?」
「何で、歌わなければならないのよ」
東京江東区下町の都営住宅の集会室のテーブルには、コルク付きのワインはほとんど数えるほどしかなく、自慢のラベル付きのワインがすでに空になってテーブルの隅に並べられている。皿に乗せられていたたものは何だったか、集まった人達の記憶には、もうほとんど無いだろう。あれは確かにおいしいシャンペンだった。午後1時から始まったパーティはシャンペンを開けて始まった。パーティに来なかった人のグラスに注がれたシャンペンがまだ残っていて、その人達の2杯のグラスも空にして、ディズニーの著作権問題をやっていたとかと言う、艶のある顔をした女の子に、「言うなれば、ディズニーは”まやかしの世界”の面白さね」とか、何とか、勝手なことを大きな声(なぜか私は、酔うと声が大きくなる)で言っては、「人生、楽しいことをどんどんやって、ワッハッハと笑って生きていれば良いの」等と、人生訓も付け加えていた。こういう大人、私大嫌いだったんだよね、昔は。

「ほら、おいしいワインがあって、チーズがあって、フランス人もいて、後はシャンソンだよ」
「止めてよ。何のために歌うのよ。私、歌をやめたのよ。もう、通訳だけをやっていくのよ」
「君のすばらしい歌を人に聞かせないの」
「だから、4月にベイタウンでやったじゃない」
「あれは、だめよ、失敗だよ」
「何ですって!!」
「だって、誰もアンコールしなかったじゃない」
「それは、日本人だからよ、後で"もっと聴きたかった"って言ってきたわよ」
こいつ、また始まった。上げたり、下げたり。いつもこうだ。いい加減にしろ。無性に腹が立ってきた。拳骨で背中をつついた。これだけじゃ足りない。

「私、帰る!」
「うん、帰りなさい」
こいつ、絶対負けない奴。

外はまだずいぶん明るい。時計を付けて出かけなかったので、時間が分からない。でも大して気になっているわけでもないから、わざわざ携帯をバックから出して時間をチェックしようともしない。もって出た小さな肩掛けバックがちょっと重い。昼過ぎに家を出てきた時、空を案じて傘も入れてきた。あいつ、大丈夫かな。財布は自分のポケットに入れているよね、きっと。

駅で招待人に案内されながら来た道を、記憶を辿りながら、新小岩の駅に向かう。そういえば、昨日近所の家でカラオケで集まったとき、やはり私が歌わなかったら、隣にいた弁護士が「臆病なんですね」って言っていたなぁ。確かにそうも言えるな。でもそれだけじゃないんだけれどね。この弁護士、観念的なところがかなりあって、それは結構当たっている場合が多いのだけれど、具体的で無い事があるなぁ。知っているのかな、越路吹雪がステージの前は眠れなくて、睡眠薬付けにするという事。尾藤功さんが、一緒に仕事をした時だって、どんなに頼まれてもカラオケで歌わないこと。臆病だけじゃないんだよね。完璧を願うのよ。自分に与えられた限界の中でね。
ここまでの基準にしたいという誇りがあるのよ。

足はどんどん、結構軽やかに進んでいる・・・・・突然、声がした。「ねえ、行って歌ったら」。あっ来た!・・・・・私が心底信じて、必ず従う神様の声。私のあごが上を向いた(そう感じたから、きっとそれまで俯き加減だっただろうな)。笑みが浮かんだ。私さっき、あのディズニーの女の子に「人生はお笑い」なんていってたよね。そうだよ、お笑いで良いんだ。また、あいつがあんなに歌って欲しがっている。
あいつがすごくしたがっている事、いつも一緒にしてあげると、結構面白かったものね。よし、戻ろう。

フランス人がいるそばで、フランス語で歌うの、気が引けるけど、まぁ、いいや。
やっちゃろ。でも「さっぱり、分からなかった」なんて言わないでね、と前置きして、伴奏がなくとも歌えそうな曲を選んだ。「ばら色の人生」。歌っている最中に人の顔が目に入ってくる。皆、真剣に聞いている。たった一人いた、キャーキャー耳に劈くような声で遊びまわっていた子供まで、じっと聴いている(見ている?)。フランス人の顔が気になった。なんだか真剣な眼差しで見ている。ああ、良いんだな。
ちょっと歌詞を間違えながらも、歌い終えた。ふー、終わった。大きな声で、ホールががどよめいた・・・ような気がした。「ブラボー!」「アンコール!」。これ、お愛想・・かな。「アンコール」が合唱になった。いいや、行っちゃえ。「愛の賛歌」?・・・いや、最近歌っていないから、歌詞を途中で忘れるわ。今度は、「あきれたあんた」を日本語で歌う。終わった。アンコールがもう無い。あまり良くなかったのかな。でもかなりの拍手。ふと、あいつの顔を見た。目を真っ赤にして泣いている。大げさなんだよね、こいつ。

宴会が続く。数人が寄ってきた。お礼や、コメントを言いに。あいつがしきりに聞く。「彼女の歌った2曲のうち、どちらが良かったですか」。あいつは「あきれあんた」といって欲しいらしいことは、ちゃんと見抜いている。実は私もそうなのだ。その人は、最初の歌だという。あれは声だけで、感情を込めるまで行っていなかったのに。がっかり。あいつは、どうしても2番目の歌が良いといって欲しいようだ。だから、しつこい。「2番目の歌は、身につまされたんです。男はやはり稼がなければならないのかなって」・・・・そうだったんだ。うれしかった。次の人がやってきた。
「僕は音楽はいろいろ聞きますけど、今日、こんなすばらしい歌が聴けて、今日のパーティに来たこと、大変得した気分になりました。」筑波から来たというこの人にも、あいつが聞く。「僕はフランス語を知らないので、やはり2番目の歌です。僕がそういう状況だって言うわけじゃないんですけれど、なんか心が熱くなって、ジーンとして、此処の所が(目の辺りを指差して)・・・・」 

「あきれたあんた」を伴奏も無いのに、感動させることができたんだ・・・・

あいつのお説教がその夜続いた。commodity(商品化)されたものだけがアーチストじゃない。君のアーチストとしての才能は、神様が与えてくれたもの。今までは、商品化しようとしてきたから、どこか緊張して思うように歌えなかったけれど、その呪縛から解放されたのだから、いつでもどこでも、気持ちがその気になったら歌って、人々に感動を与えてるんだよ。

・・・・・・・・・

神様が与えたものか・・・・テニスプレヤーのアガシの言葉を思い出した。ウィリアム姉妹の姉妹同士の試合は見たくない。あの二人の試合には、テニス以外のさまざまなことが付いてくる。神様から与えられたテニスをもっとrespectするべきだと思う、とか言っていた。

何かが目覚めたような気がした。人は皆、何かしら神様から与えられた、宝物があるけど、本当に結構出し惜しみしたり、あれやこれやと勝手に小さな頭の中に蓄えた自分の掟に金縛りになって、楽しくできるはずの人生を実現できないでいるものだな、って。

Pretty Lady  (2002/07/30)

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「ときめき#7の あとがき」

ときめき#7を送ったら、私の解釈が間違っていると、メールが来た。


「僕は君に歌って欲しいとは全然思っていない。なぜ歌わないのかなって思うだけなんだ。だって、それは神様からの君への使命なんだよ。自分に、自分の才能のOwnership(所有権)があると思っちゃいかん。君のものでなく、神様が君に与えた義務なんだよ。前世にこんな事は無かったかもしれないし、来世も、今の声ではないかもしれないし、環境も違うだろう。今歌うことは、今生で与えられた義務なんだよ。

「それから、もう一つ間違っている。僕が言ったのは、アーチストは決して商品化されないと、言ったんだよ。その時だけ使われて捨てられるものではないんだ。君は商品化されようとしてきたし、商品化される事で、アーチストとして認められるのだと、思い込んでいたけれど、そうじゃない。人を感動させる力のある人がアーチストなんだ。」

ふん、ふん、ふん、・・・・商品化、名声・・・これが多くの人達のゴールだったかな、結局。使われた後、ゴミ箱に投げられたときはつらいけれど、納得していれば良いんじゃないのかしらね。私も欲しかったけどな。このメールを読む、あちら側に、複数のアーチストがいる。2科会に向かってがんばっている画家、ジュリアードできたい上げたピアニスト、大台に入ったと言いながらミュージカルで今も頑張っている女優、自分の表現力を突き詰めてミュージカルを止めボーカルだけに転じた元ミュージカル女優、そして音楽が好きでたまらない面々と、それらを観に/聴きに、いそいそと出かけてきてくれる優しく楽しい人達・・・私、何が言いたくなったのかな???

つまり、みんな「自分自分」って言っているけれど、これって自分で選んだものじゃないんだよね。神様に持たされたものなんだよね。背の低さ、脚の太さ、脚の短さ、etc,etcと色々あるけれど、決して自分で選んだ物じゃないし、自分の行為の傾向、「業」と言うものも、人は決して選んでいない。全て持たされたもの。ある特定のものを持たされると言うことは、それを持って何かをしなさいと言う使命なのだろうね。この話、結構長くなるから、これくらいにしよう。次の「ときめき」はなんだろう?

Pretty Lady  (2002/08/01)

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